1949年の野球
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6月

6月13日 - 早慶戦に先立ち、ダグラス・マッカーサー元帥が早慶両校に激励のメッセージを寄せた。

7月

7月23日 - 殴打事件により出場停止処分を受けていた読売ジャイアンツ三原脩監督が復帰。

7月24日 - シベリアより帰国した水原茂後楽園球場においてファンの前で挨拶する[7]

9月

9月19日 - 西日本新聞社プロ野球球団を設立[1]

9月28日 - 広島野球倶楽部日本野球連盟 に加盟申請[8]

10月

10月2日 - 大映対太陽戦で、3回までに大映が10対0でリードし、太陽は5回まで1安打に抑えられていたが、その後満塁本塁打が出るなど、同点で迎えた9回裏2死満塁から死球で10点差を逆転してのサヨナラ押し出し勝利。10点差逆転は日本プロ野球新記録[9]

10月9日 - この日、阪急が負けたため、巨人が6年ぶり戦後初の優勝をする。

10月15日 - サンフランシスコ・シールズが来日し、この日の対巨人戦(後楽園)を始め日本のプロ野球チームと戦後初の日米野球親善試合を行う。またこの試合を、大阪で開催中の大相撲秋場所をこの日から休場した横綱前田山が帰京して観戦したことが問題となり、前田山はその後引退に追い込まれる(シールズ事件)。

10月30日 - 東京六大学選抜チームとサンフランシスコ・シールズが対戦(後楽園)。4-2でシールズ勝利。

11月

11月26日 - 日本野球連盟は翌年度から2リーグ制を導入すると発表。パシフィック・リーグ(パ・リーグ)が結成される[3]。詳細は「プロ野球再編問題 (1949年)」を参照

11月26日 - 西鉄クリッパースが正式に誕生、この日結成されたパ・リーグに加盟[10]

12月

12月3日 - 広島カープ初代監督に石本秀一が就任[8]

12月18日 - 平和台野球場が開場。

誕生
1月

1月1日 - 平山英雄

1月2日 - 奥田敏輝(+ 2006年

1月14日 - 忍全功

1月15日 - ボビー・グリッチ

1月18日 - 伊原春樹

1月29日 - ジム・タイロン

1月30日 - ジーン・アマーン

2月

2月5日 - 井上洋一

2月11日 - ベン・オグリビー

2月22日 - 浅野啓司

3月

3月13日 - 高木由一

3月15日 - 杉田久雄

4月

4月8日 - 奥宮種男

4月11日 - 古賀正明

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