1947年の映画
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6月27日 - 言論報道関係の〔公職〕追放規準が発表され、映画・演劇関係は19社に適用される[13][5][注 5]。
7月
7月8日 - アメリカ映画文化協会創立発会式[5]。
7月31日 - 大阪・OS劇場新築オープン[17]。
8月
英国映画協会設立[4]。
8月2日 - 内務省未検閲映画所有者は所轄署に届出るよう全国知事宛に通達[5]。
8月18日 - 電力事情の悪化のため、興行所は週3日休電となる[10][17]。ただし休電日も午後6時以降に1回の上映が可能[5]。
8月29日 - 映画入場料金値上げ許可、封切館(一番館)20円、二番館以下15円[5]。12月9日、東京の興行場の入場料値上が実施[5]。
9月
フランス映画輸出組合日本事務所設立[17]。
9月16日 - 東横映画第1作『こころ月の如く』(稲垣浩監督)[18]、大映に委託配給で封切[19]。
10月
映画界より31名が公職追放となる[10]。
エノケン(榎本健一)とロッパ(古川緑波)が初めて共演した『新馬鹿時代』前編・後編が公開[3]。
太泉スタジオ創設[10]。
11月
日ソ映画社設立[20]。11月4日、ソ連のカラー劇映画第1作『石の花』公開[21][10]。
11月25日 - 公正取引委員会、劇映画三社〔松竹・東宝・大映〕の映画館に対する「映画二本立禁止協定」を独禁法違反として摘発[17]。
12月
GHQ、米映画以外の輸入を許可[22]。
12月1日 - 入場税、1円以上は税率150パーセントに増税される[22][12][6][20]。この増税に対し、片山内閣への非難の声が上がる[6]。世界の大部分の国で税率は10から30パーセント[11]。
12月2日 - 戦後初のイギリス映画『第七のヴェール』公開[23][10]。
12月26日 - 渡辺銕蔵が社長に就任し[10][6][20]、東宝は反共的経営陣となった[6]。
日本の映画興行
入場料金(大人)
10円 → 20円(東京の邦画封切館)[24][注 6]
映画館・映画別
25円(丸の内スバル座)[7] - 非常に高い入場料金が話題となった[11]。
5円(松竹、正月映画『満月城の歌合戦』(マキノ雅弘監督)の最高額)[26]。
10円(松竹、3月)[26]。
20円(松竹、9月公開『安城家の舞踏会』(吉村公三郎監督))[26]。
70円(浅草国際劇場、11月公開『それでも私は行く』[27]と実演(長谷川一夫・花柳小菊)と松竹歌劇団の3本立)[26]。
日本公開作品詳細は「1947年の日本公開映画」を参照
受賞
第20回アカデミー賞
作品賞 - 『紳士協定』 - 20世紀フォックス
監督賞 - エリア・カザン - 『紳士協定』
主演男優賞 - ロナルド・コールマン - 『二重生活』
主演女優賞 - ロレッタ・ヤング - 『ミネソタの娘』
助演男優賞 - エドマンド・グウェン - 『三十四丁目の奇蹟』
助演女優賞 - セレステ・ホルム - 『紳士協定』
第5回ゴールデングローブ賞
作品賞 (ドラマ部門) - 『紳士協定』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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