1947年の映画
3月25日 - 東京・丸の内スバル座がアメリカ映画ロードショー館としてスタート[10][注 4]。木造ではあるが、定員890名の堂々とした映画館[11]。
4月
4月1日 - 入場税が1円以上税率100パーセントになる[10][12][7]。
5月
セントラル映画社(CMPE)がアメリカ映画の東宝への配給をストップ[13]。
5月3日 - 新憲法(日本国憲法)施行[14]。
5月7日 - 東宝・第2組合と第3組合が合併し、全国映画演劇労働組合(全映演)結成[6][13]。
5月13日 - 日活、セントラル映画社(CMPE)とアメリカ映画上映の契約更新[15][5]、直営館27館をアメリカ映画専門館に変更[15]。
5月17日 - 日本映画技術協会(のちの日本映画テレビ技術協会)発足[4][13][16]。
6月
6月13日 - 映画製作者連合会(映連)劇映画製作委員会を開催、映画最近の傾向と宣伝、時代劇映画の製作、貿易再開を検討[5]。
6月19日 - 警視庁、興行場の取締り強化[5]。
6月25日 - 全日本映写技術者連合会結成大会開催[5]。
6月27日 - 言論報道関係の〔公職〕追放規準が発表され、映画・演劇関係は19社に適用される[13][5][注 5]。
7月
7月8日 - アメリカ映画文化協会創立発会式[5]。
7月31日 - 大阪・OS劇場新築オープン[17]。
8月
英国映画協会設立[4]。
8月2日 - 内務省未検閲映画所有者は所轄署に届出るよう全国知事宛に通達[5]。
8月18日 - 電力事情の悪化のため、興行所は週3日休電となる[10][17]。ただし休電日も午後6時以降に1回の上映が可能[5]。
8月29日 - 映画入場料金値上げ許可、封切館(一番館)20円、二番館以下15円[5]。12月9日、東京の興行場の入場料値上が実施[5]。
9月
フランス映画輸出組合日本事務所設立[17]。
9月16日 - 東横映画第1作『こころ月の如く』(稲垣浩監督)[18]、大映に委託配給で封切[19]。
10月
映画界より31名が公職追放となる[10]。
エノケン(榎本健一)とロッパ(古川緑波)が初めて共演した『新馬鹿時代』前編・後編が公開[3]。
太泉スタジオ創設[10]。
11月
日ソ映画社設立[20]。11月4日、ソ連のカラー劇映画第1作『石の花』公開[21][10]。
11月25日 - 公正取引委員会、劇映画三社〔松竹・東宝・大映〕の映画館に対する「映画二本立禁止協定」を独禁法違反として摘発[17]。
12月
GHQ、米映画以外の輸入を許可[22]。
12月1日 - 入場税、1円以上は税率150パーセントに増税される[22][12][6][20]。この増税に対し、片山内閣への非難の声が上がる[6]。世界の大部分の国で税率は10から30パーセント[11]。
12月2日 - 戦後初のイギリス映画『第七のヴェール』公開[23][10]。
12月26日 - 渡辺銕蔵が社長に就任し[10][6][20]、東宝は反共的経営陣となった[6]。
日本の映画興行
入場料金(大人)
10円 → 20円(東京の邦画封切館)[24][注 6]
映画館・映画別
25円(丸の内スバル座)[7] - 非常に高い入場料金が話題となった[11]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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