1946年の映画
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1月1日 - 大阪・北野劇場、京都・京都宝塚劇場進駐軍に接収される[6]。京都宝塚劇場は「ニューキョートステートサイドシアター」と改称(ステートサイドは「米国向け」の意味)[7]

1月10日 - 株式会社となった日本映画社が『日本ニュース』第1号封切り[8]

1月28日 - 映画検閲に関する覚書をGHQが出し、日本映画界はCIE(民間情報教育局)とCCD(民間検閲局)の二重検閲となる[7]


2月

『ヨシワラ』(マックス・オフュルス監督)公開[9][1]。11月公開の『うたかたの恋』(アナトール・リトヴァク監督)などフランス映画がヒット[1][注 2]

2月1日 - アメリカ・メジャー9社の日本配給機構・セントラル映画社(CMPE)発足、2月28日、アメリカ映画の輸入が再開される[7][10][8][6]。アメリカ映画輸入再開第1号となったのは『春の序曲』(東宝系)と『キュリー夫人』(松竹系)、入場料金10円[7][8]

2月28日 - 公職追放令公布[6]


3月

キネマ旬報』復刊[8]

全東宝従業員組合の待遇改善要求に対し会社側が拒否したためストライキ突入[8]。15日間の闘争の末、組合側の勝利(3月闘争)[8]

3月10日 - 入場税、3円50銭未満50パーセント、3円50銭以上100パーセントに変更[10][11]


4月

4月1日 - 推計により終戦直後の映画館数1,190館[7]

4月28日

日本映画演劇労働組合(日映演)結成[8][11]

東宝従業員組合、日映演に加盟[11]



5月

月刊『SCREEN』創刊、表紙は原節子、裏表紙にタイロン・パワー[12][13]

日活、セントラル映画社(CMPE)と1年間にアメリカ映画を24週上映の契約を締結[14]RKO拳銃の町』の上映からスタート[15][注 3]

5月20日 - 各映画会社代表、映画製作者連合会(映連)に集まり、新旧問わず外国映画のプリント[注 4]を制限[17]

5月30日 - 各映画製作会社代表、映連で「フイルム委員会〔ママ〕」を開催、フィルムに対する物品税の廃止運動を行うと決議[17]


6月

6月1日 - 東宝が第一期ニューフェイスを募集する[18][19][8][11]
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