1946年イタリア総選挙
Elezioni politiche italiane del 1946
1934年 ←
1946年6月2日
→ 1948年
内閣第1次ガスペリ内閣
投票率89.08%
第1党第2党第3党
党首アルチーデ・デ・ガスペリピエトロ・
ネンニパルミーロ・
トリアッティ
政党キリスト教民主党イタリア社会党イタリア共産党
党首就任1944年1931年1938年
党首選挙区トレント自治県全国区全国区
獲得議席207115104
得票数8,101,0044,758,1294,356,686
得票率35.18%20.72%18.97%
選挙前首相
アルチーデ・デ・ガスペリ
キリスト教民主党
1946年イタリア総選挙(1946ねんイタリアそうせんきょ、イタリア語: Elezioni politiche italiane del 1946)は、1946年6月2日に行われたイタリアの制憲議会議員を選出する総選挙である。 ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権崩壊後の最初の国政選挙で、前回選挙から12年ぶりに実施された。 王制存続の是非を問う国民投票も同じ日に実施された。 第二次世界大戦後、イタリアはキリスト教民主党・社会党・共産党の主要さ政党で構成する国民解放委員会と、陸軍中将で王太子のウンベルト(1946年5月に即位しウンベルト2世)の合意による臨時政府の下で統治された。また20年以上にわたって民主的選挙が行われなかったため臨時政府に立法権が与えられていた。 臨時政府は民主的な憲法と政府を構築するため、制憲議会を成立すべく総選挙を実施することで合意した。 キリスト教民主党 プロレタリア統一
概要
選挙までの経緯
選挙データ
内閣
選挙時:第1次ガスペリ内閣(第64代)
首相:アルチーデ・デ・ガスペリ(キリスト教民主党)
与党:挙国一致内閣
選挙後:第2次ガスペリ内閣
首相:アルチーデ・デ・ガスペリ(キリスト教民主党)
与党:挙国一致内閣
投票日
1946年6月2日[1]
改選数
制憲議会:556
選挙区:476
全国区:080
選挙制度
選挙区:非拘束名簿式比例代表制
全国区:拘束名簿式比例代表制
選挙区は県単位で31選挙区。ヘア=ニーマイヤー式で選挙区ごとに各党へ議席配分し、残余議席と余剰票を全国区として各政党の幹部が掲載された名簿リストに基づいて配分された。
025:トリノ県
016:クーネオ県
016:ジェノヴァ県
034:ミラノ県
012:コモ県
015:ブレシア県
008:マントヴァ県
004:トレンティーノ県
027:ヴェローナ県
013:ヴェネツィア県
011:ウーディネ県
022:ボローニャ県
019:パルマ県
012:フィレンツェ県
013:ピサ県
008:シエナ県
013:アンコーナ県
009:ペルージャ県
029:ローマ県
012:ラクイラ県
007:ベネヴェント県
027:ナポリ県
012:アヴェッリーノ県
018:バーリ県
012:レッチェ県
005:ポテンツァ県
021:カタンツァーロ県
023:カターニア県
021:パレルモ県
011:カリアリ県
001:アオスタ県
選挙活動
届出党派
イタリア社会党 イタリア共産党 国民民主連合
[注釈 1] 市民前線
中道
キリスト教民主主義左派
社会主義左派
共産主義中道右派
自由主義右派
政治的無関心
アルチーデ・デ・ガスペリピエトロ・ネンニパルミーロ・トリアッティルイージ・エイナウディウィリアム・ジャンニーニ
イタリア共和党自由の国民連合行動党
左派
共和主義右派
君主主義中道左派
社会自由主義