1946年の東京巨人軍
成績
レギュラーシーズン2位
64勝39敗2分 勝率.621[1]
本拠地
都市東京都文京区
後楽園球場
球団組織
オーナー正力松太郎
経営母体読売新聞社
監督中島治康
≪ 19451947 ≫
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1946年の東京巨人軍(1946ねんのとうきょうきょじんぐん)では、1946年の東京巨人軍の動向をまとめる。
この年の東京巨人軍は、職業野球公式戦再開1年目のシーズンである。 前年の東西対抗戦に出場した選手に加えて、兵役等から復帰する選手や新入団選手を受け入れて、東京巨人軍は職業野球の再開に臨んだ。シーズン途中には、兵役でチームを離れ、終戦後は実家で農業を手伝っていた川上哲治がチームに復帰した。チームはシーズンを通じて上位争いに加わったが、最終的に初優勝の近畿グレートリングに1ゲーム差届かず、2位でシーズンを終えた。シーズン終了後、チームの経営が読売新聞社に一本化されたことを受け、チーム名を東京読売巨人軍に変更しニックネームを読売ジャイアンツとした。対戦成績では4位の阪急に12勝3敗と大きく勝ち越したが、3位の阪神に7勝8敗と負け越したのが響いた。 開幕オーダー1遊山田潔 1946年日本野球連盟順位変動順位5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 選手登
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2中呉新亨
3二千葉茂
4左黒沢俊夫
5捕多田文久三
6一諏訪裕良
7右林清光
8投近藤貞雄
9三山川喜作
1位近畿--巨人--大阪--近畿--近畿--近畿--
2位阪急0.0阪急2.5巨人3.5大阪1.5巨人3.5巨人1.0
3位巨人1.0大阪4.0近畿5.0巨人3.5大阪6.0大阪7.0
4位大阪近畿4.5阪急8.0阪急9.0阪急13.0阪急14.0
5位ゴールド2.0パシフィ8.5中部日本11.5ゴールド17.0セネター17.0セネター19.0
6位パシフィ4.0ゴールド8.5ゴールド15.0セネター17.5パシフィ19.5ゴールド22.0
7位セネター4.0セネター10.0セネター15.5パシフィ18.5ゴールド20.0パシフィ22.5
8位中部日本4.0中部日本10.0パシフィ17.5中部日本21.0中部日本21.0中部日本
3位大阪タイガース59460.5627.0
4位阪急軍51522.49514.0
5位セネタース47580.44819.0
6位ゴールドスター43602.41722.0
7位中部日本42603.41222.5
パシフィック42603.41222.5
個人成績
主な投手成績
色付きは規定投球回数(150イニング)以上の選手
太字はリーグ最高
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
率W
H
I
P
ふしもと/藤本英雄31252191216----.778870217.1171681--0831063512.111.16
こんとう/近藤貞雄423024622314----.6221208300.12424114--37611100732.181.19
なかお/中尾輝三342912201110----.524917207.12034120--39941100763.291.56
たかの/諏訪裕良171592066----.500506117.1108557--1282050342.591.41
みやした/宮下信明11421020----1.00023956.149028--2100023182.841.37
たた/多田文久三4220013----.25012728.022225--1130014123.861.68
主な打撃成績
色付きは規定打席(300打数)以上の選手
太字はリーグ最高
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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