1945年の政治
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3月23日 - 「国民義勇隊組織ニ関スル件」[2]閣議決定、国民義勇隊創設。

3月27日 - 小磯首相、繆斌工作について上奏。

3月30日 - 翼賛政治会が解散し、大日本政治会結成(総裁、南次郎陸軍大将)。

4月1945年4月7日鈴木貫太郎内閣成立。ヒトラーの死を伝える星条旗新聞号外(1945年5月2日)

4月1日 - 米軍、沖縄本島に上陸。

4月5日

重臣会議。後継内閣について協議。

ソ連、日本に対して日ソ中立条約を延長しないことを通告。


4月7日

小磯首相、繆斌工作について内閣不一致を理由に辞表捧呈。

鈴木貫太郎枢密院議長に大命降下。鈴木貫太郎内閣成立[3]

戦艦大和沈没。


4月8日 - 大本営陸軍部、本土作戦計画を策定。

4月9日 - 外務大臣に東郷茂徳が就任。

4月12日 - フランクリン・ルーズベルト米大統領、脳卒中で死去。ハリー・S・トルーマン副大統領が大統領に昇格。

4月15日 - 吉田茂、終戦工作を問われ東部憲兵隊司令部に逮捕。吉田の他、殖田俊吉、岩淵辰雄(ヨハンセングループ)も逮捕。

4月25日

ドイツのエルベ川でソ連軍と米軍が合流(エルベの誓い)。

サンフランシスコ会議開催(6月26日まで)、国際連合創設について議論。

イタリア社会共和国政府崩壊、ベニート・ムッソリーニ首相らは逃亡する。


4月27日 - ムッソリーニらが愛人クラーラ・ペタッチとともに逮捕される。

4月28日 - ムッソリーニら銃殺される。

4月30日 - アドルフ・ヒトラー独総統、自殺。後継大統領にカール・デーニッツ、首相にヨーゼフ・ゲッベルスを指名。

5月

5月1日 - ゲッベルス独首相自殺。フレンスブルク政府(デーニッツ政府)が活動開始。

5月2日

阿南惟幾陸相の裁断で、吉田茂の不起訴を決定。

ソ連軍、ベルリンを占領。


5月5日 - カナダ軍およびイギリス軍、ナチス占領下のオランダデンマークを解放。

5月7日 - 独、無条件降伏

5月11日 - 鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津美治郎参謀総長、及川古志郎軍令部総長による最高戦争指導会議構成員会合開催。終戦のための対ソ連交渉について討議。

5月12日 - 最高戦争指導会議構成員会合。

5月14日 - 最高戦争指導会議構成員会合。

5月19日 - 運輸通信省運輸省に改組。外局の通信院は内閣直属となり逓信院に改称。

5月23日 - デーニッツ以下、フレンスブルク政府の閣僚逮捕。

6月

6月3日から4日 - 廣田弘毅元首相、箱根強羅ホテルに静養中のヤコフ・マリク駐日ソ連大使を訪問。

6月5日 - ベルリン宣言発表。

6月6日 - 昭和天皇臨席の最高戦争指導会議で戦争指導大綱を採択。

6月7日 - 戦争指導大綱と「世界情勢判断と国力の現状」を閣議決定。

6月8日 - 御前会議で戦争指導大綱と「国力の現状」決定。

6月9日 - 第87臨時議会(6月12日まで)。国民義勇戦闘隊を創設する義勇兵役法などの戦時特別法案が政府より提出され、成立する。鈴木貫太郎首相が開会日の本会議でおこなった演説について、2日後の衆議院の委員会で議員の質問を受け、議事が紛糾した(天罰発言事件)。

6月22日 - 御前会議。昭和天皇が最高戦争指導会議構成員に対して終戦の決意を表明する。

6月24日 - 廣田・マリク会談。

6月29日 - 廣田元首相、マリク大使に対して満州国の中立化など3項目の具体案を提示。

7月

7月5日

イギリスで総選挙。チャーチル首相率いる保守党が敗北し労働党が勝利。

ドイツ統治のため、連合国管理理事会設置。


7月6日 - ノルウェー、対日宣戦布告。

7月8日 - 軽井沢で近衛公と東郷外相が会談。近衛公にソ連特使を申し入れ。

7月9日 - 東郷外相、帰京。

7月10日 - 最高戦争指導会議開催。ソ連に特使派遣を決定。

7月12日

鈴木首相、木戸幸一内大臣を通じて、昭和天皇から直接、近衛文麿にソ連特使の下命を願い出る。

近衛文麿、参内し昭和天皇からソ連特使就任を命ぜられ受諾。

東郷外相、佐藤尚武駐ソ日本大使を通して近衛特使派遣を急報。


7月13日

安東義良外務省政務局長からマリク駐日大使に連絡。

佐藤駐ソ大使、ソ連外務省を訪問するも、ヴャチェスラフ・モロトフ外相との面会を拒否される。


7月14日

最高戦争指導会議で鈴木首相、東郷外相が近衛特使派遣、終戦の条件等について報告。

 スターリン、モロトフ、ベルリンに向けて出発。


7月17日 - ポツダム会談

7月18日 - ロゾフスキーソ連外務次官、佐藤大使に対して対ソ交渉拒否の回答。

7月23日 - フィリップ・ペタン元帥を反逆罪で告発。

7月25日 - 原爆投下の日程正式決定[4][5]

7月26日 - ポツダム宣言を発表。

7月27日

外務省、ポツダム宣言について検討。東郷外相、松本健一外務次官ら外務省首脳は同宣言の全面受諾に賛成。

東郷外相、参内しポツダム宣言について言上。

最高戦争指導会議、閣議が開催。

イギリスでクレメント・アトリー率いる労働党内閣(第1次アトリー内閣)成立。


7月28日 - 最高戦争指導会議情報交換会(東郷外相、他用で欠席)の後、鈴木首相、新聞記者会見で「ポツダム宣言を黙殺」と発言。

8月

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