1944年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1944
投票率55.9%[1] 6.6%
候補者フランクリン・ルーズベルトトマス・E・デューイ
政党民主党共和党
出身地域ニューヨーク州ニューヨーク州
副大統領候補者
ハリー・S・トルーマン
ジョン・W・ブリッカー
州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} ルーズベルト デューイ
選挙前大統領
フランクリン・ルーズベルト
民主党選出大統領
フランクリン・ルーズベルト
民主党
選挙結果の図。数字は各州の選挙人数。 ルーズベルトとトルーマンが勝利した州 デューイとブリッカーが勝利した州
1944年アメリカ合衆国大統領選挙(1944ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1944)は、1944年11月7日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第40回)。アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦して心が奪われているときに行われた。
現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトは、過去のどの大統領よりも長くその職に在ったが、人気は衰えていなかった。1940年の選挙時とは異なり、ルーズベルトが民主党候補者としてもう1期の選出を求め出馬することにほとんど疑念は無かった。この年の対抗馬は共和党のニューヨーク州知事トマス・E・デューイだった。デューイは精力的に選挙運動を行ったが、世界大戦の最中に、ルーズベルトが4回目の当選を果たすことに疑問を挟む者はほとんどいなかった。 ルーズベルトは人気があり、戦時の現職としてほとんど公然たる反対に遭わなかった。民主党内、特に南部では保守派の数が増えて、ルーズベルトの経済および社会政策に懐疑的な者が増えていたが、敢えてルーズベルトに反対する者はほとんど居らず、容易に再指名された。指名投票の結果は以下の通りだった[2]。
候補者の指名
民主党の指名
大統領フランクリン・ルーズベルト 1086票
ハリー・F・バード
ジェイムズ・A・ファーリー 1票
党内保守派はルーズベルトの再指名を止めることができなかったが、大統領の外見が明らかに身体的に衰えており、秘密の健康問題という噂もあったので、多くの代議員や党指導者は現職副大統領ヘンリー・A・ウォレスには強く反対した。ウォレスは保守派の多くの者にとって、大統領を継ぐ可能性がある者としてあまりに左翼的であり、変わり者に過ぎた。多くの党指導者が、ウォレスの指名には反対することと、ミズーリ州選出のアメリカ合衆国上院議員で、上院戦時調査委員会の議長として良く知られるようになった中道派であるハリー・S・トルーマンを新しい副大統領候補として提案することを、ルーズベルトに個人的に伝えた。ルーズベルトは個人的にウォレスを好んでおり、トルーマンについてはほとんど知らなかったので、党の結束を維持するためにトルーマンを新しい候補者として受け入れることに躊躇した。それでも、多くの革新的代議員はウォレスを棄てることを拒み、最初の指名投票ではウォレスに票を投じた。しかし、北部、中西部および南部の大きな州の代議員が2回目の指名投票でトルーマンが指名を得るに十分な票を投じた。ルーズベルトの健康が衰え、翌1945年4月には死ぬことになったので、この副大統領指名を巡る戦いは歴史的な意味が大きくなり、トルーマンは合衆国第33代大統領になった。
副大統領指名投票の結果は以下の通りだった[3]。
副大統領候補指名投票の結果投票回12(調整前)2 (調整後)
ハリー・S・トルーマン ミズーリ州319.5477.51,031
ヘンリー・A・ウォレス アイオワ州429.5473105
ジョン・H・バンクヘッド2世 アラバマ州9823.50
スコット・W・ルーカス イリノイ州61580
アルバン・W・バークリー ケンタッキー州49.5406
J・メルビル・ブロートン ノースカロライナ州43300
ポール・V・マックナット インディアナ州31281
プレンティス・クーパー テネシー州262626
その他118.5207
ルーズベルト大統領はダグラス・マッカーサー将軍と軍事戦略を協議するために南太平洋に旅し、党大会には出席しなかった。このために、20世紀で大統領候補者が全国党大会を欠席したことでは最後の機会となった。
共和党の指名、オハイオ州知事
トマス・E・デューイ、ニューヨーク州知事
エヴァレット・ダークセン、イリノイ州選出アメリカ合衆国下院議員
ダグラス・マッカーサー、アメリカ陸軍将軍、ウィスコンシン州出身
ハロルド・スタッセン、元ミネソタ州知事
ロバート・タフト、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員
ウェンデル・L・ウィルキー、実業家、1940年の候補者、ニューヨーク州出身
ライリー・A・ベンダー、実業家、イリノイ州出身
1944年の共和党指名有力候補は、1940年選挙での大統領候補者ウェンデル・L・ウィルキー、党保守派の指導者でオハイオ州のロバート・タフト上院議員、およびニューヨーク州知事のトマス・E・デューイだった。デューイは、多くの悪名高いマフィアの人物、中でもニューヨーク市の組織犯罪ボスとして最も有名なラッキー・ルチアーノを監獄に送り込んだ"ギャングバスター"検事として全国的な名声が上がっていた。しかし、タフトが出馬しないと宣言して多くの者を驚かせた。その代わりにやはり保守派で同郷のオハイオ州知事ジョン・W・ブリッカーに対する支持を表明した。重要なウィスコンシン州予備選挙でデューイはウィルキーとダグラス・マッカーサー将軍を破り、このことでウィルキーは候補者を降りた。シカゴで開催された1944年共和党全国大会では、デューイが容易にブリッカーを最初の投票で破って指名された。続いてデューイはブリッカーを副大統領候補に選んだ。ブリッカーは拍手喝采で指名された。 共和党はニューディール政策に反対する選挙運動を行い、戦争の終結が視野に入ってきたので、小さな政府と規制の少ない経済を求めた。それでもルーズベルトの人気が続いていることが選挙の大きな主題になった。ルーズベルトは健康が優れないという噂を鎮めるために、10月に活発な選挙遊説を行うことを主張し、市内の通りではオープンカーに乗った。
一般選挙
秋の選挙運動