1940年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1940
投票率62.5%[1] 1.5%
候補者フランクリン・ルーズベルトウェンデル・L・ウィルキー
政党民主党共和党
出身地域ニューヨーク州[2]インディアナ州[2]
副大統領候補者
ヘンリー・A・ウォレス
チャールズ・L・マクナリー
州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} ルーズベルト ウィルキー
選挙前大統領
フランクリン・ルーズベルト
民主党選出大統領
1940年アメリカ合衆国大統領選挙(1940ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1940)は、1940年11月5日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第39回)。アメリカ合衆国が世界恐慌から浮上し、第二次世界大戦の陰で行われた。
現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目に出馬して、それが大きな問題となった。共和党の意外な候補者は、一匹狼の実業家ウェンデル・L・ウィルキーであり、ルーズベルトが不況を終わらせられなかったことや、戦争に対して熱心であることに反対したダークホースだった。ルーズベルトは合衆国の強い孤立主義感情を意識しており、彼が再選されれば外国との戦争は無いと約束した。ウィルキーは精力的な選挙運動を展開し、中西部や北東部での共和党の強さを復活することができた。ルーズベルトは労働組合、大都市の政治マシーン、少数民族有権者、および伝統的に民主党が強いソリッドサウスの支持を確立することで、余裕のある勝利を得た。
その後の1947年にアメリカ合衆国憲法修正第22条が成立したことによって、この選挙はアメリカ史の中でも大統領候補が3期目に選ばれたことでは唯一の事例となった(ルーズベルトはその後4期目も選出されたが、4期目の就任間もなく数ヶ月で死亡した)。 民主党の指名候補者
候補者の指名
民主党の指名
ジョン・N・ガーナー、現職副大統領、テキサス州出身
コーデル・ハル、アメリカ合衆国国務長官、テネシー州出身
フランクリン・ルーズベルト、現職大統領、ニューヨーク州出身
ミラード・E・タイディングス
ジェイムズ・ファーリー、アメリカ合衆国郵政長官および民主党大会議長、ニューヨーク州出身
1940年の冬、春および夏を通じて、ルーズベルトが長い伝統を破り前例のない3期目に出馬するかについて多くの憶測が流れた。「2期」という伝統は合衆国憲法で定められていた訳ではなかったが、1796年に3期目出馬を拒否したジョージ・ワシントン大統領によって確立され、どの大統領も3期選ばれた者はいなかった。しかし、ルーズベルトは再び候補者になる意志があるかについては明確な声明を出すことを拒んでおり、ジェイムズ・ファーリーのような大望ある民主党員には、3期目は出馬しないので民主党の指名をもとめればよい、というようなことを示唆すらしていた。しかし、ナチス・ドイツが西ヨーロッパを席捲し、1940年の夏にはイギリスに脅威を与えるに及んで、ルーズベルトは、ナチスの脅威に対して自分だけが国の安全を見ていくために必要な経験と技術を持っていると決心した。またこのアメリカ史上初の試みには、ルーズベルト以外の民主党員では人気のあるウィルキーを破れないと恐れた民主党のボス達にも助けられることとなった。