1937年フォックス保管庫火災
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1937年フォックス保管庫火災焼失した保管庫の外には、被害を受けたフィルム缶が山積みになっている
日付1937年7月9日 (1937-07-09)
場所 アメリカ合衆国ニュージャージー州リトルフェリー
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度51分18秒 西経74度02分51秒 / 北緯40.8550度 西経74.0475度 / 40.8550; -74.0475座標: 北緯40度51分18秒 西経74度02分51秒 / 北緯40.8550度 西経74.0475度 / 40.8550; -74.0475
原因猛暑によるナイトレートフィルム自然発火
結果フォックス・フィルムとエデュケーショナル・ピクチャーズの無声映画アーカイブの破壊
死者1
負傷者2

1937年フォックス保管庫火災(1937年フォックスほかんこかさい)は、1937年7月9日アメリカ合衆国ニュージャージー州リトルフェリーにある20世紀フォックスの映画フィルム保管施設で発生した火災である。

可燃性のナイトレートフィルムの成分分解によって発生したガスが、高温と不十分な換気のために自然発火し、死者1名、軽傷2名、そして多くの歴史的作品のフィルムが失われた。この火災後、安全フィルムの利用促進、保管所の冷房・換気システムの見直しが行われた。
背景
ナイトレートフィルム

初期の映画産業では、主にニトロセルロース製のフィルムを使用していた。これは一般的に「ナイトレートフィルム」と呼ばれている。このフィルムは可燃性で、燃えると自分で酸素を発生させる。この火は急速に燃え上がり、水中でも燃えてしまうため消火できない。また、ニトロセルロースは熱分解加水分解を起こし、高温や水分の存在下で時間をかけて分解していく。この崩壊したフィルムストックからは窒素酸化物が放出され、それ自体が崩壊を助長し、破損したフィルムを燃えやすくする。ナイトレートフィルムは、条件によっては自然発火することもある。初期のフィルムには製造上のばらつきがあることもあり、自然発火に必要な条件はかなり不確かである[1]。38℃以上の温度が続くこと、ナイトレートフィルムが大量にあること、湿度の上昇、換気の悪さ、フィルムの劣化などが危険因子とされている。このようなフィルムアーカイブでの火災の多くは、夏の熱波の中で、換気が制限された閉鎖的な施設で発生しており、これらの要素がいくつか重なっている。特に狭い場所では、このような火災は爆発を引き起こす可能性がある[2]

過去には大規模で危険な火災が発生することもあった。1897年5月4日パリバザール・ド・ラ・シャリテでは、リュミエール兄弟の技術により投影された動画を鑑賞できる部屋において、映写技師の装置から出火[3]。火災に加え群集のパニックもあり126人が死亡した。さらに、200人以上の人々が火災で負傷した[4]。アメリカでは、一連の火災が産業施設で相次いだ。1914年6月13日にはフィラデルフィアのルービン社の保管庫が爆発し、12月9日にはニュージャージー州ウェストオレンジにあるトーマス・エジソンの研究所が火災に見舞われた[A]1915年9月にはFamous Players Film Companyのニューヨークスタジオが焼失し[5]1920年7月には、Famous Playersの後継会社であるFamous Players-Laskyの出荷施設がミズーリ州カンザスシティの火災で焼失したが、施設はそのリスクを最小限にするために建設されていた[6][7]。同じくカンザスシティにあるUnited Film Ad Serviceの保管庫が1928年8月4日に焼失し、その9日後にはパテ・エクスチェンジで火災が発生した。1929年10月にはConsolidated Film Industriesの施設が火災で大きな被害を受けた[8][9]。これらの火災で自然発火が起こったことは証明されておらず、1933年の研究でナイトレートフィルムが自己発火するのに必要な温度が過大評価されていたことが判明するまでは、その可能性を認識していなかったのかもしれない[1]
リトルフェリー

20世紀初頭、ニュージャージー州フォート・リーの近くには、アメリカ初の映画産業である映画スタジオが数多く存在していた[10]。ニュージャージー州リトルフェリーの請負業者ウィリアム・フェアーズは、1934年にフィルム保管施設の建設を依頼された際、耐火構造になるように設計した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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