1936年アメリカ合衆国大統領選挙
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1936年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1936

1932年 ←
1936年11月3日
→ 1940年


投票率61.0%[1] 4.1%
 
候補者フランクリン・ルーズベルトアルフレッド・ランドン
政党民主党共和党
出身地域ニューヨーク州カンザス州
副大統領候補者
ジョン・N・ガーナー
フランク・ノックス
獲得選挙人5238
勝利地域数462
得票数27,747,63616,679,543
得票率60.8%36.5%


州別獲得選挙人分布図
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選挙前大統領

フランクリン・ルーズベルト
民主党選出大統領

フランクリン・ルーズベルト
民主党

1936年アメリカ合衆国大統領選挙(1936ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1936)は、1936年11月3日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第38回)。世界恐慌が8年目に入った年に行われた。

現職大統領民主党フランクリン・ルーズベルトは、連邦議会や裁判所を通じて、そのニューディール政策の各条項を推進し続けていた。しかし、ニューディール政策は既に法制化され、社会保障失業給付のような政策が大半のアメリカ人に高い人気を得たことが明らかになっていた。共和党の対抗馬は、カンザス州知事のアルフレッド・ランドンであり、政治的には中道だった。政治学者の中には接戦を予測した者もいたが、ルーズベルトは選挙人選挙ではわずか8票を渡しただけという、当時の二大政党体制が1850年代に始まって以来最大の勝利を得た。
候補者の指名
民主党の指名
民主党の指名候補者

フランクリン・ルーズベルト、現職大統領、ニューヨーク州出身

ヘンリーS・ブレッキンリッジ、弁護士、ニューヨーク州出身

ルーズベルト大統領は同好の士以外には唯一人の対抗馬がいるだけだった。ニューヨーク州出身の反ニューディールを掲げる弁護士ヘンリーS・ブレッキンリッジが4州の予備選でルーズベルトに対抗して出馬した。民主党員の中でニューディールの人気を試そうというブレッキンリッジの試みは失敗し、大差で敗れた。ニュージャージー州では、ルーズベルトが候補者名簿に載っておらず、予備選でブレッキンリッジに敗れたものの、書き込み投票だけで19%を獲得した。ルーズベルトを支持する代議員候補者がニュージャージー州だけでなく他の州でも圧倒的に選出された。他の予備選を見ると、ブレッキンリッジが最も多く得票したのはメリーランド州の15%だった。全体的にはルーズベルトが予備選投票数の93%を獲得したのに対し、ブレッキンリッジは2%に過ぎなかった[2]

民主党全国大会フィラデルフィアで開催された。代議員達は全会一致で現職大統領ルーズベルトを大統領候補に、やはり現職の副大統領ジョン・N・ガーナーを副大統領候補に指名した。ルーズベルトの要請により、南部に拒否権を与えていた3分の2ルールが撤廃された。

指名投票の結果(民主党、1936年)大統領副大統領
フランクリン・ルーズベルト1100ジョン・N・ガーナー1100

共和党の指名
共和党の指名候補者

ハーバート・フーヴァー、元大統領、カリフォルニア州出身

フランク・ノックス、出版社主、 イリノイ州出身

アルフレッド・ランドンカンザス州知事

チャールズ・L・マクナリー、上院院内総務、オレゴン州 出身

オグデン・ミルズ 、元アメリカ合衆国財務長官、ニューヨーク州出身

セオドア・ルーズベルト・ジュニア、元フィリピン軍政府長官、ニューヨーク州出身

アーサー・ヴァンデンバーグミシガン州選出アメリカ合衆国上院議員

アール・ウォーレン、アラマダ郡地方検事、カリフォルニア州出身

ウィリアム・エドガー・ボーラアイダホ州選出アメリカ合衆国上院議員


レスター・J・ディキンソン、アイオワ州選出アメリカ合衆国上院議員

スティーブン・A・デイ、イリノイ州出身

ウォーレン・グリーン、元サウスダコタ州知事

フレデリック・スタイワー、オレゴン州選出アメリカ合衆国上院議員

フランシス・タウンゼンド、ソーシャルワーカー、カリフォルニア州出身

多くの候補者が共和党の指名を求めたが、ランドン知事とボーラ上院議員が有力候補と考えられた。ノックス、ウォーレン、グリーンおよびデイがそれぞれの出身州予備選では勝利する一方で、進歩派で「造反者」としても良く知られた70歳のボーラは、ウィスコンシン州ネブラスカ州ペンシルベニア州ウェストバージニア州およびオレゴン州の予備選を制し、またノックスのイリノイ州、グリーンのサウスダコタ州でもかなりの強さを示していた。しかし、党機関は大半が富裕な実業家で中道のランドンを後押しし、マサチューセッツ州とニュージャージー州の予備選で勝利し、党員集会や州の党員集会では優勢だった。

ノックスが、ランドンの副大統領候補となって撤退し、デイ、グリーン、およびウォーレンはその代議員を自由裁量としたことで、党大会での投票は次の結果になった。

アルフレッド・ランドン 984

ウィリアム・エドガー・ボーラ 19

その他の党の指名

この選挙ではルイジアナ州選出の民主党上院議員で「富の再共有」(Share Our Wealth)を掲げ一世を風靡していたヒューイ・ロングが、第三党の候補者として推す動きが盛んだったが、歴史家でロングの伝記作者であるT・ハリー・ウィリアムズに拠ればロング自身に大統領選出馬の意思は無かったと言われている。(ウィリアムズに拠れば)ロングとしては、ラジオ放送で人気を博したカトリック教会の司祭で反ユダヤ主義ポピュリストでもあったチャールズ・カフリン神父と手を組み、新党「富の再共有」党の公認候補として誰か他の者を出馬させる胎だったと言う。


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