1935年のグランプリ・シーズン
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1935年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
ルドルフ・カラツィオラ
前年:1932翌年:1936

1935年のグランプリシーズン
前年:1934翌年:1936

メルセデスルドルフ・カラツィオラが1935年フランスグランプリを制した。

1935年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権の第三回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。メルセデスルドルフ・カラツィオラがヨーロッパ選手権を制した。

1935年9月15日にドイツ国旗として鉤十字旗が採用されたことに留意。
シーズン概要

メルセデスW25はグラン・エプルーヴで7戦中5勝し、シーズンを席巻した。うち4勝を挙げたルドルフ・カラツィオラが自身初のヨーロッパ選手権チャンピオンに輝いた。カラツィオラのタイトル獲得は、1933年モナコでの負傷の影響が残る中で達成されたものだった[1]アウトウニオンは4.9L(シーズン中に5.6Lまで増加) V16エンジンを搭載するタイプBを投入したほか、前年にグランプリ最多勝を挙げたアキーレ・ヴァルツィをドライバーラインナップに加えたが、メルセデスの後塵を拝し、シーズン全体で4勝するに留まった。スクーデリア・フェラーリには、離脱したヴァルツィに替わってタツィオ・ヌヴォラーリが加入した。ドイツ勢のマシンが圧倒的優勢を誇る中、ヌヴォラーリはドイツグランプリで番狂わせを演じ、非ドイツ勢にとって戦前では最後となるグランエプルーヴでの勝利を挙げた。一方、大規模なメーカーがレースシーンを席巻する中でブガッティマセラティはグランプリへの興味を失い、その活動を縮小させた[2]。アウトウニオンの新人ベルント・ローゼマイヤーは、デビューから2戦目のアイフェルレンネン(ニュルブルクリンク)にて、最終ラップの最終ストレートでカラツィオラに抜かれるまで首位をキープした末、2位でフィニッシュして強い印象を残した[3]。ローゼマイヤーは9月下旬のチェコスロヴァキアグランプリで初優勝を果たし、アウトウニオンのエースドライバーとして頭角を現した。
ヨーロッパ選手権グランプリ

Rd開催日レースサーキットPP(プラクティス最速)ファステストラップ優勝者コンストラクターレポート
14月22日
モナコグランプリモンテカルロ市街地コース ルドルフ・カラツィオラ ルイジ・ファジオーリ ルイジ・ファジオーリメルセデス・ベンツ詳細
26月23日 フランスグランプリリナ・モンレリ(英語版) アキーレ・ヴァルツィ タツィオ・ヌヴォラーリ ルドルフ・カラツィオラメルセデス・ベンツ詳細
37月14日 ベルギーグランプリスパ・フランコルシャン抽選でグリッド決定 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ ルドルフ・カラツィオラメルセデス・ベンツ詳細
47月28日 ドイツグランプリニュルブルクリンク抽選でグリッド決定 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ タツィオ・ヌヴォラーリアルファロメオ詳細
58月25日 スイスグランプリブレムガルテン・サーキット アキーレ・ヴァルツィ ルドルフ・カラツィオラ ルドルフ・カラツィオラメルセデス・ベンツ詳細
69月8日 イタリアグランプリモンツァ・サーキット抽選でグリッド決定 タツィオ・ヌヴォラーリ ハンス・シュトゥックアウトウニオン詳細
79月22日 スペイングランプリラサルテ・サーキット(英語版)抽選でグリッド決定 アキーレ・ヴァルツィ ルドルフ・カラツィオラメルセデス・ベンツ詳細

非選手権グランプリ

黄色の背景はグラン・エプルーヴ

開催日レースサーキット優勝者コンストラクターレポート
2月10日
ノルウェーグランプリボグスタッド湖 パーヴィクトル・ウィーデングレンアルファロメオ詳細
2月17日 ヴァレントゥナ・レースヴァレントゥナ湖 パーヴィクトル・ウィーデングレンアルファロメオ詳細
2月24日 ポーグランプリポー市街地コース タツィオ・ヌヴォラーリアルファロメオ詳細


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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