1931年の政治
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(午後)品川御殿山の重藤千秋中将宅で橋本欣五郎らが集まりクーデター計画の具体案決定[9]


2月12日

大川周明、行地社狩野敏にクーデターの庶務を、門下の中島信一に軍人との連絡役をそれぞれ指示[10]

(夜)大川周明、大化会清水行之助に東京での騒擾を指示[11]


2月13日 - 大川周明、門下の東亜経済調査局の松延繁次に無産政党、労組動員を指示[10]

(日時不詳)清水行之助、徳川義親侯爵を訪問し、クーデター計画を打ち明け資金を相談[12][13][14]


2月19日 - 幣原外務大臣(首相臨時代理)、貴族院に予算案を上程した際、浜口首相の3月上旬の登院を答弁。 

2月下旬から3月始め - 濱口首相、激しい腹痛や下痢、便秘、食欲減退等症状悪化。


2月28日 - 衆議院、婦人公民権法案を可決。

3月

3月6日 - 大川周明、濱口首相の有力後継候補に浮上した宇垣陸軍大臣に書簡。

3月7日 - 宇垣陸軍大臣豹変。小磯国昭軍務局長へクーデター中止を命令。

小磯軍務局長、中島信一を通して大川周明にクーデター中止を連絡。

(日時不明)大川、河本大作元大佐に擬砲弾調達を相談。


3月9日 - 濱口首相、宮中に参内。昭和天皇に幣原臨時首相代理の任を解くことを奏上。

3月10日 - 濱口首相、衆議院に登院。

3月11日 - 濱口首相、貴族院に登院。

3月17日

岡村寧次大佐、鈴木貞一中佐を経て、クーデター計画が真崎甚三郎中将(第一師団長)に伝わる。真崎、永田鉄山軍務課長に抗議。永田軍務課長、小磯軍務局長に報告。

小磯軍務局長、河本大作元大佐に大川周明説得を依頼。河本は徳川義親侯爵に大川の説得を依頼。

徳川義親侯、大川周明を説得しクーデターは中止。


3月18日 - 濱口首相、衆議院本会議に登壇。

3月20日 - 日本陸軍の青年将校による政治結社「桜会」によるクーデター計画が発覚(三月事件)。

3月24日 - 貴族院、婦人公民権法案を否決。

4月

4月4日 - 濱口首相、再入院。

4月5日 - 濱口首相、再手術。

4月10日 - 宇垣一成陸軍大臣辞任。後任に南次郎大将を任命

4月13日

濱口内閣総辞職。

立憲民政党総裁に若槻禮次郎元首相が就任。

西園寺公望公爵、後継首相に若槻民政党総裁を奏請。

若槻禮次郎に大命降下。


4月14日

第2次若槻内閣成立。

スペイン国王アルフォンソ13世が亡命し、スペイン第二共和政成立。


5月

5月16日 - 閣議、官吏減俸を決定。以後、各省職員による反対運動起こる。

5月27日 - 第2次若槻内閣が「官吏減俸令」公布(6月1日施行)。

6月視察旅行前の中村震太郎大尉(左)と井杉延太郎退役曹長。

6月17日 - 朝鮮総督宇垣一成元陸軍大臣を任命。

6月22日 - 内閣に臨時行財政整理審議会設置。

6月27日 - 中村大尉事件。北満視察中の中村震太郎大尉が中国兵に殺害される。

7月

7月2日 - 万宝山事件

7月3日 - 朝鮮排華事件

7月3日 - 労農党全国大衆党社会民衆党の一部(合同賛成派)が合同し、全国労農大衆党結成。

8月

8月25日 - イギリスマクドナルド挙国一致内閣成立。

8月26日 - 濱口雄幸前首相、死去。

9月

9月上旬 - 関東軍戦闘準備を開始。
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