1928年アメリカ合衆国大統領選挙
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1928年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1928

1924年 ←
1928年11月6日
→ 1932年


投票率56.9%[1] 8.0%
 
候補者ハーバート・フーヴァーアル・スミス
政党共和党民主党
出身地域カリフォルニア州ニューヨーク州
副大統領候補者
チャールズ・カーティス
ジョセフ・T・ロビンソン
獲得選挙人44487
勝利地域数408
得票数21,427,12315,015,464
得票率58.2%40.8%


州別獲得選挙人分布図
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選挙前大統領

カルビン・クーリッジ
共和党選出大統領

ハーバート・フーヴァー
共和党

1928年アメリカ合衆国大統領選挙(1928ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1928)は、1928年11月6日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第36回)。共和党候補のハーバート・フーヴァー民主党候補のアル・スミスの戦いとなった。

共和党は1920年代の好況を味方に付けていたのに対し、カトリック教徒であるスミスは、反カトリックからの偏見、スミスの反禁酒法の姿勢、および関わっていたタマニー・ホールの汚職の名残という政治的な障害があった。フーヴァーが地滑り的勝利を掴んだ。
候補者の指名
共和党の指名

共和党の指名候補者

チャールズ・カーティス上院院内総務カンザス州出身

ハーバート・フーヴァーアメリカ合衆国商務長官カリフォルニア州出身

フランク・ローデン、元イリノイ州知事

フランク・ウィリスオハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員

ジェイムズ・ワトソンインディアナ州選出アメリカ合衆国上院議員

現職のクーリッジ大統領が出馬しないことを選択し、候補指名争いは本命のいないものになった。有力候補者は商務長官のハーバート・フーヴァー、元イリノイ州知事のフランク・ローデン、および上院院内総務のチャールズ・カーティスだった。クーリッジを推す動きもあったが、意味ある推進力を得るところまでは行かなかった。

幾つかの予備選ではフーヴァーが思っていたほど伸びず、行き詰まりになった場合に大統領か副大統領チャールズ・ドーズが受けるのではないかという思惑もあったが、ローデンが党大会の始まらんとする頃に撤退を表明し、フーヴァーが指名される道を作った。

共和党全国大会6月12日から15日まで、ミズーリ州カンザスシティで開催され、候補者選びの結果は次のようになった。

ハーバート・フーヴァー 837票

フランク・ローデン 74票

チャールズ・カーティス 64票

フーヴァーはその副大統領候補者選びに干渉することを好まなかったので、党の指導者達は初めにドーズに2期目を渡そうと考えた者もいたが、この情報が漏れると、クーリッジは、彼が憎んでいるドーズに2期目を指名することは彼への侮辱として受け止める、という怒った電報を送った。そこでカーティス上院議員にお鉢が回り、カーティスも受け入れたので、全会一致で副大統領候補に指名された。

フーヴァー長官は党大会が終わってから1週間後の受諾演説で、「我々のアメリカは今日、この国の歴史でかって無かったほどの貧窮に対する最終的な勝利を得ようとしている。...間もなく神の助けによって貧窮がこの世で禁じられる日を見ることだろう。」と言った[2]
民主党の指名

民主党の指名候補者

ニュートン・ディール・ベイカー、元アメリカ合衆国陸軍長官、オハイオ州出身

コーデル・ハルテネシー州選出アメリカ合衆国下院議員

アル・スミスニューヨーク州知事

ジェイムズ・A・リード、ミズーリ州選出アメリカ合衆国上院議員

ティーポット・ドーム事件(公有地の油田利権を巡る癒着騒動)の記憶が薄れ、当時の経済的繁栄の中で、この年の大統領候補者選びは大騒ぎする価値がなかったので、ウィリアム・マカドゥーのような主要民主党指導者の大半は模様長めに安住していた。そうではなかったのが、過去2回指名候補になっていたニューヨーク州知事アル・スミスだった。党のボス達はあらゆる目論見や目的にも、また空虚な栄誉にもスミスがやろうということに賭けるほうが安全だと考えた。

1928年の民主党全国大会6月26日から28日にテキサス州ヒューストンで開催され、スミスが第1回目の投票で大統領候補に指名された。

指導層は、スミスとは多くの点で政治的対極にあるアーカンソー州のジョセフ・T・ロビンソン上院議員を副大統領候補に指名するよう代議員達に求め、ロビンソンが副大統領候補に指名された。

スミスは主要政党から大統領候補に指名された者として最初のローマ・カトリック教徒であり、その信教が選挙運動で問題とされた。多くのプロテスタントは、スミスが国の政策を決める時にローマの教会指導者からの注文を受け入れるのではないかと恐れた。
禁酒党の指名

禁酒党の党大会は7月10日から12日にシカゴで開催された。スミスは公然と禁酒法に対する反対を言っていたわけではなかったが、アルコールに対する戦いでは軟弱と見るものが多かった。禁酒党の党員の中には、党の候補者がとても選挙には勝てないと考え、またもしその候補者が得た票によってスミスが勝つようなことは望まなかったので、フーヴァー支持を表明することを欲する者もいた。それでも、候補者選びの投票の結果、ウィリアム・F・バーニーが68票対45票(フーヴァー)で大統領候補に指名された。カリフォルニア州の候補者名簿にはフーヴァーが禁酒党候補者として載っていた。
社会党の指名


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