1921年の政治
3月4日 - ウォレン・ハーディングが第29代米大統領に就任。
3月6日 - 皇太子裕仁親王一行、沖縄に到着。
3月8日 - ロシア共産党が新経済政策(ネップ)を採用する。
3月10日 - 皇太子一行、英領香港に到着。
3月13日 - モンゴル人民党がキャフタで臨時人民政府樹立。
3月16日 - 英ソ通商協定締結。
3月18日
皇太子一行、英領シンガポールに到着。
ポーランドとソビエト連邦の間でリガ条約が結ばれる。
ポーランドは西ウクライナと西ベラルーシを併合、ソ連は残りのウクライナとベラルーシを併合し、ウクライナ人民共和国政府はフランスに亡命。
3月21日 - 皇太子一行、英領セイロンに到着。
4月
4月8日 - 国有財産法、借地法、借家法公布。
4月10日 - 度量衡法改正(12日メートル法公布)。
4月15日 - 皇太子裕仁親王一行、英領エジプトに到着。
4月18日 - 皇太子一行、カイロに到着。
4月24日 - 赤瀾会結成(日本初の女性による社会主義団体)。
4月30日 - 皇太子一行、英領ジブラルタルに到着。
5月1921年5月15日、ロイド・ジョージ英首相(前列左から2人目)主催の午餐会に出席した皇太子裕仁親王(前列左から3人目)。前列右から2人目は閑院宮載仁親王。
5月5日 - 孫文、広東新政府非常大総統に就任。第2次広東政府成立。
5月7日 - 皇太子裕仁親王一行、英国ワイト島に到着。
5月9日 - 皇太子裕仁親王の英国上陸式典挙行。
5月13日 - 駐英日本大使館で晩餐会。エドワード皇太子、デビッド・ロイド・ジョージ英首相らを迎える。
5月15日 - ロイド・ジョージ首相主催の歓迎午餐会開催。
5月18日 - 皇太子一行、スコットランドに到着。
5月19日 - 皇太子裕仁親王、ケンブリッジ大学から名誉法学博士号授与。
5月20日 ? 旧区制廃止、旧区に該当していた県庁所在自治体などが市制施行。
5月30日 - 皇太子一行、英国を離れ、フランスに到着。
6月
6月1日 - 皇太子裕仁親王、エリゼ宮にアレクサンドル・ミルラン大統領を表敬訪問。
6月7日 - ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
6月10日 - 皇太子裕仁親王一行、ベルギーに到着。
6月15日 - 皇太子一行、オランダに到着。
6月20日 - 皇太子一行、オランダを離れ、ベルギーとフランスを再訪。
6月25日 - 皇太子一行、ヴェルダンの戦いの戦跡を訪問。
6月29日 - 皇太子一行、ソンムの戦いの戦跡を訪問。
7月
7月11日
モンゴル人民革命。ウルガでボグド・ハーンを制限君主に推戴する人民政府樹立。中華民国から実質的に独立。
皇太子裕仁親王一行、イタリアに到着。
7月18日 - 皇太子一行、イタリアを離れ帰途に着く。
7月22日 - アンワールの戦いでスペイン軍がリーフ共和国軍に敗退。
7月23日 - 上海で中国共産党の創立大会が開催される。
7月29日 - ヒトラーがナチス党党首に就任した。
8月
8月 - 中国共産党、上海に中国労働組合書記部を設立。
9月
9月3日 - 皇太子裕仁親王一行、横浜に到着。
9月17日 - 尾崎行雄、吉野作造らが、軍備縮小同志会結成。
9月27日 - ワシントン会議全権に加藤友三郎、徳川家達、幣原喜重郎らを任命。
10月
10月23日 ハンガリー王国でオーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世が逮捕される(カール1世の復帰運動が失敗)。
11月原敬首相暗殺の現場。柱の陰に犯人の中岡艮一がいた。
11月4日 - 原敬首相、東京駅で暗殺(原敬暗殺事件)。
原首相の暗殺により内田康哉外相が臨時兼任内閣総理大臣に就任。
11月7日
政友会党本部で原敬の告別式。
イタリアで戦闘者ファッシ、ファシスト党(国家ファシスト党)に改組。
11月8日 - 原敬、盛岡に到着。
11月9日 - 大慈寺で原敬の密葬。
11月11日 - 大慈寺で原敬の本葬。
11月12日 - ワシントン会議開催。
11月13日 - 高橋内閣成立。
11月25日 - 皇太子裕仁親王が摂政に就任。
12月
12月13日 - ワシントン会議で日本・米国・英国・フランスの四か国条約が調印される。日英同盟が廃棄される。
12月24日 - 第45議会召集。
脚注^ 児島襄 & 第七巻, pp. 106.
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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