1919年
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1919年の政治では、1919年(大正8年)の政治分野に関する出来事について記述する。
目次
1 できごと
1.1 1月
1.2 2月
1.3 3月
1.4 4月
1.5 5月
1.6 6月
1.7 7月
1.8 8月
1.9 9月
1.10 10月
1.11 11月
1.12 12月
2 関連項目
3 脚注
4 参考文献
できごと
1月
1月1日
白ロシア・ソビエト社会主義共和国樹立。
ドイツ独立社会民主党の極左勢力が糾合し、ドイツ共産党・スパルタクス団(後にドイツ共産党に改称)を結成する。
1月4日 - ドイツ政府、ベルリン警視総監エミール・アイヒホルン(ドイツ語版)を罷免。
1月5日 - ドイツ共産党、革命的オプロイテがアイヒホルンの罷免に反発して大規模なデモ、ゼネスト(スパルタクス団蜂起)。
カール・リープクネヒト、独立社会民主党党首ゲオルク・レーデブール(ドイツ語版)らが社会民主党政府打倒を目的とする革命委員会を設立。
ミュンヘンでドイツ労働者党結成。
1月6日
セオドア・ルーズベルト米元大統領死去。
革命委員会、大規模デモとゼネストを決定する
1月7日
フリードリヒ・エーベルト首相、グスタフ・ノスケ国防相に最高指揮権を付与。
ノスケ国防相、ドイツ義勇軍(フライコール)によるデモ弾圧を決定。
1月8日
独立社会民主党右派がエーベルトと革命委員会を仲介。
エーベルトと革命委員会の交渉決裂。ドイツ共産党は革命委員会から離脱。
スパルタクス団、党員へ武装闘争への参加を指示。
エーベルト、フライコールに労働者鎮圧を指示。
1月12日 - フライコール、労働者を鎮圧。
1月15日 - カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルクがフライコールに虐殺される。
1月18日 - パリ講和会議が始まる[1]。
1月25日 - パリ講和会議において、国際連盟の設立提案が承認される。
2月
2月11日 - ドイツ大統領選挙(ドイツ語版、英語版)で、ドイツ国の初代大統領にフリードリヒ・エーベルトが当選する。
2月21日 - バイエルンのクルト・アイスナー首相暗殺。
2月27日 - リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)成立。
3月
3月1日
朝鮮半島で三・一独立運動。
ハンガリー革命勃発。
3月2日 - コミンテルン(第3インターナショナル)創立。
3月21日
ハンガリー・ソビエト共和国成立。
イギリスでインド独立運動を抑圧するローラット法が制定。
3月23日 - イタリアでベニート・ムッソリーニがイタリア戦闘者ファッシを結成。
4月
4月6日 - インドでマハトマ・ガンディーが第1次非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ)を開始。
4月6日から7日 - バイエルンで独立社会民主党のエルンスト・トラー(de:Ernst Toller)と無政府主義者のグスタフ・ランダウアーが中心となり革命。バイエルン・レーテ共和国樹立。
ヨハネス・ホフマン首相(多数派社会民主党)のバイエルン政府は、ミュンヘンからバンベルクに避難。バイエルン内乱状態に。
4月12日 - 関東軍司令部条例が公布され、関東都督府の軍事部門が分離し関東軍が設置される。同時に関東都督府が関東庁に改組。
4月13日
インドでアムリットサル事件。
ドイツ共産党員のオイゲン・レヴィーネが第2期バイエルン・レーテ共和国を樹立。
4月16日 - ルーマニア軍、ハンガリー評議会共和国に侵攻(ハンガリー・ルーマニア戦争)。
4月27日 - レヴィーネが退陣。
4月30日 - パリ講和会議で中国山東省のドイツ利権に関する日本の要求が承認。
5月
5月1日 - ドイツ中央政府軍、エアハルト旅団などのドイツ義勇軍(フライコール)がミュンヘンを攻略。
5月2日 - バイエルン・レーテ共和国鎮圧される。
5月4日 - 五四運動。