1916年のメジャーリーグベースボール
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}1916年 > 1916年のスポーツ > 1916年のメジャーリーグベースボール

以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1916年のできごとを記す。

1916年4月12日に開幕し10月12日に全日程を終え、ナショナルリーグブルックリン・ロビンス(後のドジャース)が1900年以来16年ぶり3度目の優勝で、アメリカンリーグボストン・レッドソックスが2年連続5度目の優勝となった。

ワールドシリーズはボストン・レッドソックスがブルックリン・ロビンスを4勝1敗で破り、ワールドシリーズ3度目の制覇であった。

1915年のメジャーリーグベースボール - 1916年のメジャーリーグベースボール - 1917年のメジャーリーグベースボール
できごと

アメリカン・リーグはボストン・レッドソックスがトリス・スピーカー(この年に打率.386で首位打者)とスモーキー・ジョー・ウッド投手を放出したが、若手のベーブ・ルースが23勝、しかも最優秀防御率1.75でこの年にレッドソックスのエースとなった。そしてアーニー・ショアとダッチ・レナードの強力な投手陣を揃えてリーグ優勝を果たした。

ナショナル・リーグは、ブルックリン・ロビンス(現ロサンゼルス・ドジャース)がウィルバート・ロビンソン監督の下で主砲ザック・ウィート(この年29試合連続安打して打率.312)と1913年と1914年に首位打者となったジェイク・ドーバート、エースのジェフ・フェファー(25勝)を中心に活躍して長い低迷から抜け出して、16年ぶりにリーグ優勝だった。

ワールドシリーズでは、レッドソックスが大方の予想通り完勝でブルックリン・ロビンスを圧倒した。
トリス・スピーカー

かつてはハリー・フーパーダフィー・ルイスとの3人でレッドソックスの「100万ドルの外野陣」と呼ばれたが、この年にクリーブランド・インディアンスに移り、打率.386で首位打者となった。これは彼にとって最初で最後の首位打者であった。生涯通算打率.345で首位打者が1回だけであったのは同時代にタイ・カッブ(首位打者12回)がいたためである。しかしトリス・スピーカーの真骨頂は守備であった。外野手(センター)として1試合補殺4、ダブルプレー5回を記録(いずれもリーグ歴代1位)し、さらに生涯通算補殺450(449とする資料もある)、ダブルプレー135回はメジャーリーグ史上トップの記録である。スピーカーの守備力は高い評価を受けており、外野フライを取ったあとそのまま2塁へ走って踏んでのダブルプレーを4回達成(これはメジャーリーグのタイ記録)している。通算打率.345(史上5位)、通算安打3514本(史上5位)、通算二塁打792本(史上1位)、通算三塁打222本(史上6位)、通算本塁打117本の生涯記録は中距離打者として見事なものである。守備と打撃を加えた総合力ではカッブよりもスピーカーの方が上という意見が強くあったと言われている。1919年から選手兼任監督となり、そして1926年のシーズン終了後にカッブとの八百長疑惑事件に巻き込まれて、翌年セネタースに移り、さらに次の1928年にコニー・マック監督のアスレチックスに移ったが、皮肉にもそこにはタイ・カッブがいて、両者ともこの年に揃って引退した。(1937年に殿堂入り)
ブルックリンの再建

ブルックリン・ロビンス(旧スーパーパス)は1899年と1900年に優勝して以降20世紀に入ってから成績が低迷し、チームは1904年から11年連続で負け越しを続けた。1913年に本拠地をワシントン・パークからエベッツ・フィールドへ移し、1914年に「アンクル・ロビー」ことウィルバート・ロビンソンが監督に就任しチーム名も「ロビンズ」(この名称はロビンソン監督に由来している)に変えたことで、ようやくチームは再建された。ロビンソンは19世紀のアメリカンアソシェーションのフィラデルフィア・アスレチックス(コニー・マックのアスレチックスとは別球団)や19世紀のナショナルリーグのボルチモア・オリオールズ(後のヤンキースや現在の同名球団とは別球団)の選手(捕手であった)で、世紀の変わり目にチームをリーグ優勝に導いたネッド・ハンロンの愛弟子であり、ジョン・マグローと行動を共にして、20世紀に入ってアメリカンリーグ創設時のボルチモア・オリオールズ(後のニューヨーク・ヤンキース)にも在籍した。選手を引退してから1911年からマグローのジャイアンツのコーチを経て1914年から1931年まで18年間ブルックリン・ロビンスの監督を務めた。選手として、コーチ・監督として約50年の球歴の持ち主である。1934年死去。(1945年殿堂入り)
マグローのチーム改造

ニューヨーク・ジャイアンツは前年最下位となり、この年も前半は不調でついにマグロー監督は7月20日に意を決して衰えが見えてきたエースのクリスティ・マシューソンら3人をシンシナチ・レッズに放出し、8月26日にはフレッド・マークル、マカーティ捕手をブルックリン・ロビンスに放出し、さらにシカゴ・カブスとの間で幻の三冠王ヘイニー・ジマーマン遊撃手を獲得するために主将のラリー・ドイル二塁手ら2名をトレードに出した。ジャイアンツはこれで立ち直った。9月7日から9月30日に敗れるまで破竹の26連勝を記録したが順位は4位のままであった。しかし、翌年はジャイアンツの6度目の優勝となった。
記録

タイ・カッブは打率.371でトリス・スピーカーの打率.386に及ばず惜しくも10年連続首位打者は成らなかった。しかし盗塁68で5度目の盗塁王となった。カッブは翌1917年から3年連続首位打者をとっている。

フィラデルフィア・フィリーズピート・アレクサンダーはこの年も投手三冠(最多勝33勝・最多奪三振167・最優秀防御率1.55)を達成した。その中で38試合に完投して完封が16試合あり、このシーズン完封16は現在までメジャーリーグ記録である。但し19世紀の1876年にセントルイス・ブラウンストッキングス (1875-1877年)ジョージ・ブラッドリー が同じ16完封を記録しておりタイ記録であった。またアレクサンダーは生涯通算90完封で、史上2位でナショナルリーグ記録である。(1位はウォルター・ジョンソンの110)

ニューヨーク・ジャイアンツの26連勝(正確には26勝1引き分け)の記録は、現在までのメジャーリーグ記録である。但し引き分けを挟んでいるので完全な連勝記録は2017年にクリーブランド・インディアンスが作った22連勝である。

最終成績
レギュラーシーズン
アメリカンリーグ

順チーム勝利敗戦勝率G差
1
ボストン・レッドソックス9163.591--
2シカゴ・ホワイトソックス8965.5782.0
3デトロイト・タイガース8767.5654.0
4ニューヨーク・ヤンキース8074.51911.0
5セントルイス・ブラウンズ7975.51312.0
6クリーブランド・インディアンス7777.50014.0
7ワシントン・セネタース7677.49714.5
8フィラデルフィア・アスレチックス36117.23554.5

ナショナルリーグ

順チーム勝利敗戦勝率G差
1
ブルックリン・ロビンス9460.610--
2フィラデルフィア・フィリーズ9162.5952.5
3ボストン・ブレーブス8963.5864.0
4ニューヨーク・ジャイアンツ8666.5667.0
5シカゴ・カブス6786.43826.5
6ピッツバーグ・パイレーツ6589.42229.0
7シンシナティ・レッズ6093.39233.5
8セントルイス・カージナルス6093.39233.5


ワールドシリーズ詳細は「1916年のワールドシリーズ」を参照

レッドソックス 4 - 1 ロビンス

10/ 7 ?ロビンス5-6レッドソックス
10/ 9 ?ロビンス1-2レッドソックス(延長14回)
10/10 ?レッドソックス3-4ロビンス
10/11 ?レッドソックス6-2ロビンス
10/12 ?ロビンス1-4レッドソックス

個人タイトル
アメリカンリーグ
打者成績

項目選手記録
打率トリス・スピーカー (CLE).386


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef