1907年の政治
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
4月
4月8日 - 英仏間でシャムに関する協定を締結。
4月12日 - スイス、新軍事法制定。在郷軍人に2年ごとの軍事教練を義務化。
4月15日
第5回大英帝国植民地会議。
日露両軍、租借地、鉄道付属地を除き満州から撤兵。
日清鉄道協約締結。
4月17日 - 平民新聞、75号を最後に廃刊。
4月20日 - 明治天皇、来日中の救世軍大将ウィリアム・ブースを引見。
4月24日 - 刑法公布。
4月29日
ジョルジュ・クレマンソー仏首相、パリのストライキを弾圧し、メーデーに備え警官隊を総動員する。
農商務省、貧農対策で養鶏を奨励。
5月
5月4日 ? 日露漁業仮議定書締結。ロシア沿岸で日本漁船の操業が可能となる。
5月8日 - 華族令改正により新華族令および華族令施行規則公布。有爵者を華族と明示。
5月11日 - 独仏両国、知的所有権保護に関する協定締結。
5月13日 ? ロンドンで第5回ロシア社会民主労働党党大会。ボリシェヴィキとメンシェヴィキの対立激化。
5月14日 - スウェーデンで、普通選挙法案上下両院で可決。
5月16日 - 英仏西、カルタヘナ条約に調印。
5月17日 - 露、ピョートル・カウフマン文相、ドゥーマにロシア国民の識字率を報告。男性は29パーセント、女性は13パーセント。
5月27日 - 市町村立小学校教員の平均月俸が上がる。
6月高宗皇帝
6月2日 - 中国革命同盟会が広東省恵州の七女湖で蜂起。10日後に鎮圧される。
6月10日 - 日仏協約とインドシナに関する日仏共同宣言調印。
6月14日 - ノルウェー議会、婦人参政権を盛り込んだ選挙法案を否決する。
6月15日 - 第2次ハーグ平和会議開催。韓国高宗皇帝が密使を使わし、日本の朝鮮半島侵略を訴える(ハーグ密使事件)。
6月16日 - ロシア皇帝ニコライ2世、突如ドゥーマを解散。新選挙法を公布。
6月25日 - 片山潜ら日本社会平民党を結成。27日結社禁止命令。
7月
7月1日 ? 英、オレンジリバー植民地に自治権を付与し、自治政府が成立する。
7月3日
伊藤博文、ハーグ密使事件に関して、高宗皇帝の責任を厳しく追及。
大阪毎日新聞、ハーグ密使事件をスクープ。
7月5日
イタリア議会で日曜日を終日24時間休日とする法案が可決。
仏下院国民議会、8時間労働法を可決する。
7月6日
中国革命同盟会の光復会、安徽省安慶で蜂起。13日には浙江省紹興で秋瑾も蜂起したが失敗。
英領中央アフリカをニアサランドと改称。
7月19日 - 高宗皇帝、譲位。韓国国民が騒擾。日本軍1個旅団を鎮定のため派遣。
7月23日 - 第3次日韓協約と秘密覚書に調印。
7月28日 - 日露通商条約、日露漁業条約に調印。日本はオホーツク海、ベーリング海の操業権を得る。
7月30日
フィリピン史上初の議会選挙。国民党が第一党となる。
第1回日露協約に調印。
7月31日
韓国軍解散の詔勅を発布。
米軍、ドミニカ共和国のサントドミンゴから撤退。
8月
8月1日
アメリカ陸軍通信隊内部に航空部門発足。
京城で韓国軍解散式。以後、半年に渡り抗日反乱が勃発(義兵運動)。
カサブランカでフランス人殺害。フランス軍軍艦を派遣。
8月2日 - イギリスで海外派遣軍及び国防義勇部隊創設法が成立。
8月3日 - 独露両皇帝がシュヴィーヌミュンデで会談。
8月4日 - フランス、カサブランカを報復攻撃。モロッコの大西洋沿岸を占領。
8月6日 - ジョージア州で禁酒法成立。
8月8日 - ゼムストヴォ議員125名が国民全体への普通教育を要求。
8月9日 - 英で婦人雇用法成立。
8月18日 - 第二インターナショナル第7回シュトゥットガルト大会開催。世界戦争反対宣言を決議。
8月20日 - 日清国境地帯の間島龍井村に統監府派出所を設置。清国政府は撤去を要求。
8月27日 - 韓国純宗皇帝(李拓)即位。
8月28日 - 英で死亡した妻の姉妹と結婚を認める法律が成立。
8月31日
英露協商成立。これにより英仏露の三国協商成立。
片山潜、田添鉄二らが社会主義同盟会を結成。
9月
9月1日
中国革命同盟会、広東省欽州、廉州で蜂起。鎮圧される。
天津、上海、漢口、牛荘、安東で日本人居留民団設立。
9月6日 - ピウス10世、回勅を発布。
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef