19世紀
できごと蒸気機関車「ロバート・スチーブンソンのロケット号」。
日本では江戸時代の後期及び末期(幕末)から明治時代にあたる。
中国では清の時代の後期から末期にあたる。
イギリスではジェームズ・ワットの圧縮蒸気機関が開発され、その10年後にはワットの複動式蒸気機関が完成し、炭鉱において地下300メートルの深さまで掘ることが可能になった。毎年さまざまなタイプの石炭を何百万トンも産出するようになり、世の中が一変した[1]。
1800年代詳細は「1800年代」を参照
1801年
伊能忠敬が幕命により伊豆から陸奥の沿岸の測量に向かう。
中村小一郎ら樺太を巡視する。富山元十郎らウルップ島に至り、「天長地久大日本属国」の標識を立てる。
志筑忠雄が『鎖国論(ケンペルの『日本誌』の一部)』を訳出する。
本居宣長が死去。
グレートブリテン王国(イギリス)とアイルランド王国が合併する。
フランスと教皇庁とのコンコルダート(政教協約)が結ばれる。
ロシア皇帝パーヴェル1世が宮廷クーデタで暗殺され、皇子が即位してアレクサンドル1世となる。
江戸時代の旅行ブーム。1802年には十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の刊行が始まり、文化文政時代のおおらかな気風も相まって各地への旅行が庶民でも楽しまれるようになった。画像は歌川広重の「東海道五十三次」の「日本橋」。阮朝越南の成立。黎朝衰退後に台頭した西山三兄弟を倒し、阮福暎は嘉隆帝と名乗ってベトナム全土を統一した。画像は首都の順化(ユエ)に今も残る順化皇城の延寿宮(中国語版)。
1802年
蝦夷奉行を置き、更に蝦夷奉行を箱館奉行と改称する。
伊能忠敬が幕命により陸奥・出羽・越後の沿岸の測量に向かう。
この冬、近藤守重(重蔵)ら、幕命により択捉島を視察する。
タイの援助で阮福暎(嘉隆帝)がベトナム全土を統一し越南阮朝が成立。
第一次サウード王国がメッカとメディナを占領する。
英仏間でアミアン講和条約。
1803年
伊能忠敬が幕命により、東海道・北陸道・佐渡島の沿岸の測量に向かう。伊能忠敬が国・郡・村の呼称を調査する。
ウィリアム・ロバート・スチュアートのアメリカ船籍ナガサキ号が長崎に来航し貿易を要求する。
前野良沢死去(81)。
アミアン講和条約が破棄され、ナポレオン戦争が再開される( - 1815年)。
帝国代表者会議主要決議による神聖ローマ帝国の陪臣化と世俗化が決定される。
アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンがフランスからミシシッピ以西のルイジアナを買収。
第一次サウード王国がヒジャーズを征服し、メッカ・メディナの両聖地を支配下に置く。
イギリスとマラーター同盟の間で第二次マラーター戦争が勃発する( - 1805年)。同年にムガル帝国はイギリス保護下に入った。
イギリス人マシュー・フリンダースがオーストラリア大陸周航を達成する。
ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠。
1804年
アンギャン公処刑事件。
ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝に即位(フランス第一帝政)。
神聖ローマ皇帝フランツ2世が、ハプスブルク家領を再編しオーストリア皇帝フランツ1世として即位(オーストリア帝国)。
ロシア使節レザノフが長崎に漂流民津太夫らを護送、貿易を求める。
ハイチがフランスから独立(世界初の黒人による共和国)。
象潟地震により象潟の海岸が隆起して陸地となる。
ウィリアム・ターナーの「トラファルガーの海戦(イギリス国立海洋博物館(英語版)蔵)」。
1805年
トラファルガーの海戦。
アウステルリッツの三帝会戦。
オスマン帝国によりムハンマド・アリーがエジプト総督に任命される(ムハンマド・アリー朝の成立)。
伊能忠敬が幕命により伊勢・紀伊・山陽・山陰地方の測量に向かう。
紀伊の医師華岡青洲が初めて麻酔剤を用い乳癌を手術する。
1806年
ライン同盟の成立による神聖ローマ帝国の滅亡。
イエナ・アウエルシュタットの戦い、ナポレオンのベルリン入城、大陸封鎖令(ベルリン勅令)の発令。
文化露寇(フヴォストフ事件)。江戸で文化の大火(丙寅の大火)。
1807年
ティルジットの和約。ヴェストファーレン王国とワルシャワ公国が成立。
プロイセンでシュタイン・ハルデンベルクの改革が始まる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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