19世紀イギリス演劇
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本稿ではイングランドにおける演劇について説明する。演劇ローマ人たちによってイングランドへともたらされた。そして上演のための場所として、オーディトリアムが国内のいたる処に建設された。イングランドハートフォードシャー所在のローマ劇場
中世期詳細は「en:Medieval theatre」を参照

中世期までには、国内にて民族劇ママーズ・プレイ(英語版)や、民族舞踊モリス・ダンス(英語版)の路上公演(英語版)が発展しており、それらの内容は、聖ゲオルギオスによるドラゴン退治やロビン・フッドを取り扱ったものが中心であった。これらの作品は古い物語を語りなおした民話伝承が基になっており、俳優たちは街から街へと旅をしては観衆の前で公演を行い、その見返りとして金やもてなしを受けていた。
神秘劇詳細は「神秘劇」を参照19世紀の画家デイヴィッド・ジー(英語版)による15世紀の受難劇の様子を描いた作品。

神秘劇または奇跡劇(両者は時にそれぞれ違うものとして区別される[脚注 1]が、用語としては交互に使用されている)は、黎明期においてはフランスを中心とする中世ヨーロッパで公式に発展した演劇である。中世の神秘劇は、交唱歌を伴う活人画同様、教会内において聖書の物語を再現することに焦点を合わせていた。これらの劇は10世紀から16世紀にかけて発展し、15世紀にはその人気が頂点に達し、プロフェッショナル演劇が誕生し繁栄していくことによって時代遅れのものとなった。名称は『奇跡(miracle)』という観念において用いられた『神秘(mystery)』に由来する[2]。しかし時に、語源は手工業ギルドによって行われた演劇である「クラフト(Craft)」を意味する『ミステリウム(misterium)』であると引用されることもある[3]

中世後期より、完全な、あるいはほぼ完全な形で現存している、英語で書かれた聖書劇群が存在している。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これらが時に「サイクル」だと見なされるにもかかわらず、今なお信じられているのは、この用語が、それらの作品群が実際に保有している以上の内容の首尾一貫性を、これらの作品群に帰しているという事だ。[訳語疑問点]最も完全な形で残っているのは、48のパジェントより成るヨーク・ミステリー・プレイ(英語版)である。これらの作品はヨーク市内にて、14世紀中ごろから1569年まで上演された。32のパジェントより成るウェイクフィールド・ミステリー・プレイ(英語版)もある。これらの作品は真の「サイクル」であったとかつては考えられており、中世後期の1576年まで、ウェイクフィールドの街にて、聖体の祝日ごろに上演されていた。ルーダス=コヴェントリー(N-タウン・プレイ(英語版)やヘッジ・サイクル[訳語疑問点](Hegge cycle)とも呼ばれる)は、少なくとも3つの古く、そして互いに関係のない劇を改訂し編集して作成されたものであり、そして24のパジェントより成るチェスター・ミステリー・プレイ(英語版)は、エリザベス朝時代に中世の伝説を再構築したものであると、現在では広く意見が一致している。新約聖書を題材とした2つのパジェントコヴェントリー・ミステリー・プレイ(英語版)と、ノリッジおよびニューカッスル・アポン・タインにて1つずつ発見された野外劇も現存する作品である。それらに加えて、マグダラのマリアの生涯を基にした15世紀の劇作品『アブラハムとイサクのブロム・プレイ(英語版)[訳語疑問点]』と、16世紀の劇作品『聖パウロの回心』が現存する。ともにイースト・アングリア地方より出てきている。中英語で書かれた劇作品以外には、オーディナリア(英語版)の名で知られている、コーンウォール語で書かれた3つの劇が現存している。

これらの聖書劇群は、内容において大きく異なる。殆どの作品は、「ルシファーの堕落」、「人類の創造と堕落」、「カインとアベル」、「ノアの方舟」、「アブラハムイサク」、「キリストの降誕」、「ラザロの蘇生」、「キリストの受難」、そして「キリストの復活」といったエピソードを含んでいる。他の野外劇は、「モーセ」、「預言者の行進」、「イエスの洗礼」、「荒野の誘惑」、そして「聖母の被昇天と戴冠」の物語を含んでいた。これらの作品は、新たに発生した手工業ギルドによって後援されるようになった。一例として、ヨークの織物業者は野外劇「最後の審判」を後援した。他のギルドは自らの職業に関連したシーンを提供した。例えば大工たちのギルドは、「ノアの方舟」を建造するシーンを提供し、パン屋たちのギルドは、「パン五つ、魚二匹」の奇跡を描いた劇に協力した。そして「三賢者の訪問」では、賢者たちがささげる黄金、乳香没薬鍛冶屋たちのギルドから提供された[4][5]。しかしギルドは、全ての街にとって、劇を上演する方法だと理解されるものという訳ではない。チェスターの野外劇がギルドとの関連があった一方で、N-タウン・プレイがギルドと関連があった、あるいはパジェント・ワゴン(英語版)の上で上演された事を示すものはない。おそらく著名な神秘劇の大部分は、少なくとも現代の読者ないし観客にとってはウェイクフィールドの作品群であるが、不運なことに我々はタウンリー写本が本当にウェイクフィールドにて上演された劇であるかどうかを知る事ができない。しかし『第2の羊飼いの劇(英語版)』中に登場する Horbery Shrogys(ホーベリー(英語版)はシティ・オブ・ウェイクフィールド内に所在する村)への言及は強く示唆に富むものである。
道徳劇詳細は「道徳劇」を参照

道徳劇は中世期およびテューダー朝期の舞台娯楽の一ジャンルである。その全盛期には、これらの劇は「中間劇」(道徳的なテーマを含む含まずに関わらず、劇作品に対して与えられた用語)として知られていた[6]。 道徳劇は、主人公が様々な道徳的属性の擬人化したものと出会うアレゴリーの一類型である。作品中で、道徳的属性が擬人化した存在は主人公を信心深い生活または悪のひとつへと駆り立てようとする。ヨーロッパにおいては、道徳劇は15世紀から16世紀にかけて最も人気があった。宗教に基づく中世の神秘劇から生じたため、道徳劇はヨーロッパ演劇にとって、より世俗的な土台への転換を意味した。[訳語疑問点]

『エヴリマン(英語版)』は15世紀後期の道徳劇作品である。ジョン・バニヤンが1678年に第1部を発表したキリスト教的寓意物語『天路歴程』のように、『エヴリマン』は寓話的な登場人物を用いる事によって、キリスト教における救済(英語版)の問題を、そして救済へと到達するために人間がなさねばならぬ事を考察する。その前提となるものは、人間の人生における善悪が、元帳中の記述のように、死後に神によって勘定されるという事だ。劇はエヴリマンの生涯の寓話的会計である。エヴリマンは全人類を意味する。行動していくうちに、エヴリマンは彼に同行する他の登場人物を納得させようとする、彼自身の評価を向上させられるという希望を抱きながら。全ての登場人物もまた寓話的だ、ひとりひとりが、仲間意識、道具、そして知識といった抽象的な概念を擬人化したものである。善悪の葛藤は、登場人物間が相互に作用することにより劇的に表現される。
ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期詳細は「イギリス・ルネサンス演劇」を参照ウィリアム・シェイクスピア(チャンドス・ポートレイト(英語版))

イギリス・ルネサンス期(英語版)として知られている時期(だいたい1500年から1660年にかけて)は、演劇、そしてすべての芸術の最盛期であった。最初期の英語で書かれた喜劇の候補作となるのは以下の2作品だ - ニコラス・ユーダル(英語版)作『ラルフ・ロイスター・ドイスター(英語版)』(1552年頃)と、作者不詳(ジョン・スティル(英語版)作と推定された事がある)の『ガマー・ガートンの縫針』(1566年頃)。これらは16世紀の作品とされる。

エリザベス1世治世下(1558-1603年)およびジェームズ1世治世下(1603-25年)、すなわち16世紀後期から17世紀初期にかけての期間は、ロンドンを中心とした文化(それは宮廷風でありながら大衆的でもあった)が優れたと演劇とを産み出した。


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