1860年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1860
投票率81.2%[1] 2.3%
候補者エイブラハム・リンカーンジョン・ブレッキンリッジ
政党共和党南部民主党
州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} リンカーン ブレッキンリッジ ベル ダグラス
選挙人の出せない準州
選挙前大統領
ジェームズ・ブキャナン
民主党選出大統領
エイブラハム・リンカーン
共和党
選挙結果の図。数字は各州の選挙人数。青が共和党、緑が南部民主党、橙が立憲連合党、濃緑が北部民主党が獲得した州を示す。
1860年アメリカ合衆国大統領選挙(1860ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election of 1860)は、1860年11月6日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第19回)。南北戦争の起爆点となった。
政党政治は4つの集団に割れ、どの政党も暴力的解決無しではアメリカ合衆国として国を纏めていく力が無かった。1850年代の大半を通じてアメリカ合衆国は、州の権限と新しい領土の奴隷制の問題を巡って政策が分かれた。1860年、これらの問題を巡る抗争が頂点に達し、エイブラハム・リンカーンと共和党は南部を1州も取れないままに権力の座に着いた。それまで政権を握っていた民主党は党を纏めることができず、南部と北部に分かれて戦った。
リンカーンが勝利したことにより、全米33州のうち、サウスカロライナ州を初めとする南部諸州(奴隷州は15)のうち、11州のアメリカ合衆国からの脱退宣言に繋がったが、これはまだ現職大統領であった民主党のジェームズ・ブキャナンと新しく選ばれたリンカーンによって拒否されることになった。
背景「南北戦争の原因」も参照
1857年以降、アメリカ合衆国はドレッド・スコット対サンフォード事件の判決、カンザス・ネブラスカ法、カンザス州のルコンプトン憲法(英語版)、およびジョン・ブラウンによるハーパーズ・フェリー襲撃事件といった州の権限と奴隷制を巡る問題によって、党派抗争が激化し国全体が大きく北部と南部の2つに分かれたような様相になっていた。