1856年アメリカ合衆国大統領選挙
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1856年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1856

1852年 ←
1856年11月4日
→ 1860年


投票率78.9%[1] 9.3%
 
候補者ジェームズ・ブキャナンジョン・フレモントミラード・フィルモア
政党民主党共和党ノウ・ナッシング|アメリカン党
出身地域ペンシルベニア州カリフォルニア州ニューヨーク州
副大統領候補者
ジョン・ブレッキンリッジ
ウィリアム・デイトン
アンドリュー・ドネルソン
獲得選挙人1741148
勝利地域数19111
得票数1,836,0721,342,345873,053
得票率45.3%33.1%21.5%


州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  ブキャナン   フレモント   フィルモア   選挙人の出せない準州

選挙前大統領

フランクリン・ピアース
民主党選出大統領

ジェームズ・ブキャナン
民主党

選挙結果の図。数字は各州の選挙人数

1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、: United States presidential election of 1856)は、1856年11月4日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第18回)。奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。

共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党はカンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しいノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。

現職大統領フランクリン・ピアースは民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党はペンシルベニア州出身のジェームズ・ブキャナンを指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていたホイッグ党は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党はカリフォルニア州出身のジョン・フレモントを最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、ウィリアム・スワードサーモン・チェイスは急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、ニューヨーク州出身のミラード・フィルモア(第13代、在任:1850年 - 1853年)を指名した。また泡沫候補ダニエル・プラット(英語版)も出馬した。

フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべてデラウェア州メリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルベニア州とイリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。
一般選挙
選挙運動ノウ・ナッシングの選挙ポスター民主党の選挙運動リボン

3人の候補者全てが地方遊説をしなかった。共和党は新しい領土への奴隷制拡張に反対し、そのスローガンは「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」であった。共和党は奴隷勢力に対して立ち上がり、奴隷制が共和制の価値を破壊していると警告した。民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論した。

共和党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法、および新しい州が合衆国に自由州として加盟するか奴隷州として加盟するかを人民主権で決めるという政策によってミズーリ妥協が撤廃されることに反対した。共和党は現職のピアース大統領が、カンザス準州の市民に欺瞞的な準州政府を押し付けたことと、「血を流すカンザス」に起きた暴力沙汰を許したことを非難し、カンザスを自由州として即刻加盟させることを提唱した。合衆国の大陸内にある領土への奴隷制拡張に反対するとともに、スペイン領であったキューバを取り込むというオステンド・マニフェストにも反対した。選挙運動を要約すれば、その焦点は奴隷制度に対する反対であり、それは合衆国が築いてきた共和制の価値を破壊するものだと感じていた。

民主党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法と西部の準州に導入された人民主権という政策を支持していた。またカンザスで選出された奴隷制擁護の準州政府を支持していた。この準州政府はカンザスの自由州推進派に対抗し、トピカ憲法(英語版)を不法な会議で作られた不法な文書として反対していた。さらにブキャナンが駐イギリス大使であったときに画策したオステンド・マニフェストの中でうたわれているキューバの併合案を支持した。民主党の選挙運動で最も訴えたことは、共和党が勝てば南部の多くの州が脱退するという警告であった。
結果

一般投票の結果、過半数を制した候補者はいなかった。しかし、31州のうち北部の州を含む19州を制したブキャナンが選挙人投票では59%を制して勝利し、第15代大統領に選ばれた。共和党の敗北の原因は北部でノウ・ナッシングと競合し票が分散したことが挙げられた。
投票結果

投票の結果
大統領候補者党出身州一般得票数
(得票率%)選挙人得票数副大統領候補者
ジェームズ・ブキャナン民主党ペンシルベニア州1,836,072
(45.3%)174ジョン・ブレッキンリッジ
ジョン・フレモント共和党カリフォルニア州1,342,345
(33.1%)114ウィリアム・デイトン(英語版)
ミラード・フィルモアノウ・ナッシングニューヨーク州873,053
(21.6%)8アンドリュー・ドネルソン(英語版)
その他3,177
(0.1%)0 
合計4,054,647296
選出必要数149

出典 (一般選挙): Leip PV source。year=1856。as of=July 27, 2005

出典 (選挙人選挙): National Archives EV source。year=1856。as of=July 31, 2005

(注) サウスカロライナ州のみ選挙人が州議会で選ばれており、一般投票を行っていない。
州ごとの結果

出典: Walter Dean Burnham, Presidential ballots, 1836?1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247?57.

ジェームズ・ブキャナン
民主党ジョン・フレモント
共和党ミラード・フィルモア
アメリカン党州計
州選挙人数#%選挙人数#%選挙人数#%選挙人数#
アラバマ州90001361846,73962.089名簿なし0004866928,55237.92-75,291AL
アーカンソー州421,91067.124名簿なし10,73232.88-32,642AR
カリフォルニア州453,34248.38420,70418.78-36,19532.83-110,241CA
コネチカット州634,99743.57-42,71753.1862,6153.26-80,329CT
デラウェア州38,00454.8333102.12-6,27542.99-14,589DE
フロリダ州36,35856.813名簿なし4,83343.19-11,191FL
ジョージア州1056,58157.1410名簿なし42,43942.86-99,020GA
イリノイ州11105,52844.091196,27540.23-37,53115.68-239,334IL
インディアナ州13118,67050.411394,37540.09-22,3869.51-235,431IN


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