1815年のタンボラ山の大噴火(1815ねんのタンボラさんのだいふんか、英語: 1815 eruption of Mount Tambora)は、記録の残る中では人類史上世界最大の火山噴火である[2][3]。噴火そのものの規模だけでなく犠牲者数も世界噴火史上最大であり、史上最悪の火山災害となった。本項ではこの大噴火と、それによってもたらされた世界的な影響について解説する。 大噴火を起こしたのは、現在のインドネシア・スンバワ島(当時はオランダ領東インド)にある活火山、タンボラ山である。タンボラは有史以降、数世紀にわたって長らく火山活動の記録がなかったが、1812年から火山活動を開始し、1815年4月に大噴火を引き起こした[4][5]。 大噴火は1815年4月5日から始まり[6][7]、爆発のクライマックスを迎えたのは4月10日?11日である[8][9](活動そのものは7月15日まで続いた[8])。噴火に伴う大爆発音は極めて広範囲に伝わり、1,500km以上離れた場所でも聞こえたという[10](一説では約1,700?1,800km先でも聞こえた[11][2])。噴煙は成層圏に達して高さ40kmを超えた[12]。 噴火によって莫大な量の火山灰が噴出され、半径約1,000kmの範囲で降灰が確認された[5]。火山灰により、500km離れたマドゥラ島では3日間にわたり(昼でも)暗闇となった[13][5]。噴火で発生した大火砕流は、25km離れた村を襲って集落ごと壊滅させ[2]、海に流入して大津波を発生させ[14]、直接の死者はおよそ1万人に達した。その後世界中で蔓延した飢餓や疫病なども含めて、約7万1,000人?12万1,000人が犠牲になったといわれる[15](正確な犠牲者数については諸説あり[注 1])[16]。 スンバワ島の中心集落であるタンボラでの口語であったタンボラ語
1815年4月に発生した大噴火
この大噴火により、直径6km・深さ1,100mの巨大カルデラが形成され[1][10][17]、タンボラ山の標高は4,000mから2,850mへと低下した[18]。約30km3の山体が消失したとされる[13]。
アメリカ地質調査所とインドネシア火山局の調査によって、この時に壊滅した山麓の村の遺跡が2004年に発見され、家屋や人骨などが見つかった[19]。
噴火の規模1815年のタンボラ噴火はVEI7の巨大爆発であった
有史以降最大級の噴火であったタンボラの噴火は、火山爆発指数でその爆発規模を示すとVEI-7となる[20][21][22]。噴火の総合的なエネルギーは1027エルグと推定されており、また噴出物総量は約150km3(推定1,700億トン)であった[10][23][8]。