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千年紀:2千年紀
世紀:16世紀 - 17世紀 - 18世紀
十年紀:1600年代 1610年代 1620年代 1630年代 1640年代
1650年代 1660年代 1670年代 1680年代 1690年代
ルイ14世の世紀。フランス語では「偉大なる世紀(フランス語版)」を意味するGrand Siecleと呼ぶこの時代に、フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。アイザック・ニュートン。主著『プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。レンブラント・ファン・レインの「テュルプ博士の解剖学講義」。この時代はオランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。三十年戦争。「17世紀の危機」の中でも全ヨーロッパを巻き込んだ最後の宗教戦争であるこの戦争は、各国を消耗させとりわけ神聖ローマ帝国の解体を促進した。画像はボヘミアの都市バウツェンを包囲するザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世。ヴェストファーレン会議。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。画像はヘラルト・テル・ボルフの絵画(アムステルダム国立美術館蔵)で、三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。清教徒革命。国王と議会の対立はイングランドを巻き込んだ内乱となり、その渦中で国王は処刑された。近年ではスコットランド・アイルランドを含めた三王国戦争の名でも知られる。画像はヴァン・ダイクによる「国王チャールズ1世の三面肖像画」。ロンドン大火。1666年9月1日に起こった火事はロンドン市内の8割を炎上させる惨事となった。画像は炎に包まれた市内を描いた記録画で、左手にロンドン橋、右手にロンドン塔、そして遠方にセント・ポール大聖堂が見える。バロックの栄光。対抗宗教改革でカトリック教会は宗教的感情に訴える総合芸術「バロック」を作り出した。画像はローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会コルナロ礼拝堂に置かれたベルニーニの「聖テレジアの法悦」。ピーテル・パウル・ルーベンス。フランドル出身の画家で壮大なスケールと肉感のある迫真の描写により王侯たちに愛され「王の画家、画家の王」と呼ばれた。画像は「フランス王妃マリー・ド・メディシスの生涯」の連作から王妃がマルセイユ港に到着した場面(ルーヴル美術館蔵)。第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。画像はウィーン軍事史博物館所蔵の逸名画家による「1683年9月のウィーン市包囲と救援」。モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ(トレチャコフ美術館蔵)」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。