15世紀
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千年紀:2千年紀
世紀:14世紀 - 15世紀 - 16世紀
十年紀:1400年代 1410年代 1420年代 1430年代 1440年代
1450年代 1460年代 1470年代 1480年代 1490年代
大航海時代。大西洋を渡り新世界に到達したコロンブス。マチュ・ピチュ遺跡。アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿いの尾根にある遺跡で標高2430mの高さにある。用途は未だ明らかでない所もあるが、15世紀に建造されたインカ帝国の技術の高さを反映している。太陽の石。1479年にアステカ帝国皇帝アシャヤカトルが現メキシコシティの中央広場の位置に奉献したもの(メキシコ国立人類学博物館蔵)。後期ミシシッピ文化。北アメリカでは1450年代にはカホキア遺跡にみられる巨大建築物マウンドでの祭祀が停滞し、社会が大きく変容した。画像はこの時代に作られた中空土器の水差しで、神話上の水中豹を表している(アーカンソー州クロス郡出土)。香辛料の魅惑。15世紀には東方との交易路はオスマン帝国に遮断される事になり、香辛料の供給不足が大きな問題となった。画像は1410年代に描かれた『世界の記述(東方見聞録)』の挿絵で、インドでの胡椒採収が取り上げられている。エンリケ航海王子。ポルトガルは東方への航路の開発を推進したが、その中心となったのは「航海王子」の名を持つエンリケ王子である。サグレスに設置した「王子の村」が航海士の育成に貢献したことはよく知られている。画像は「サン・ヴィセンテの祭壇画」で聖人のすぐ右隣に位置する黒帽で黒髭の人物が王子とされているが異論もある。インド洋の活況。東アフリカ沿岸部ではキルワ王国などイスラム諸王朝がインド洋航路を保持し、それに伴い中国の明やポルトガルの船も姿を現していた。画像はキルワの大モスク跡サマルカンド近郊のウルグ・ベク天文台ティムール朝の君主ウルグ・ベクは天文学に造詣が深く「ズィージ・スルターニー」のような精緻な天文表も作成させた。ビフザード。ティムール朝からサファヴィー朝のヘラートで活躍した細密画家で、その巧緻な技術で「第二のマニ」とも呼ばれている。画像はサアディー果樹園』のユースフとズライハ」の挿絵。コンスタンティノポリスの陥落。オスマン帝国のメフメト2世の占領により、1000年以上続いてきた東ローマ帝国はここに滅亡した。画像はジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタンの歴史画(トゥールーズオーギュスタン美術館蔵)。ロシア正教会の自立。東ローマ帝国の衰退に伴い「タタールの軛」を脱したロシアでは独自の組織が形成され文化的にも新たな展開が見られた。画像はこの時代を代表するモスクワ派のイコン(聖画像)でアンドレイ・ルブリョフの「至聖三者」(モスクワトレチャコフ美術館蔵)。グルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)。ポーランド・リトアニア連合軍がドイツ騎士団を破り、東方植民の動きはここで抑えられた。画像はこの戦いを描いたポーランド人画家ヤン・マテイコの歴史画(ワルシャワ国立美術館蔵)。正義王マーチャーシュ。ハプスブルク家に勝って領土の保全に力を尽くし、ルネサンス文化を導入して黄金期の立役者となった賢君。画像は『ハンガリー年代記(英語版)』の挿絵に描かれた正義王。ヨーロッパの機械式時計。中世末期には歯車や脱進機の性能が向上し各地に大規模な時計が作られた。画像は「プラハのオルレイ」と呼ばれる天文時計で1410年頃作成されてから、後世の補修はあるものの今日まで動いているものである。プラハ大学学長ヤン・フスの火刑。コンスタンツ公会議の決定によりカトリック教会と相容れぬ異端の徒として処刑されたが、これがチェック人の憤激を呼び起こすことになった。オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルク。劣勢のフランス軍を鼓舞し百年戦争の終結に大きな役割を果たしたが魔女裁判で火刑に処せられた。画像は15世紀に描かれたジャンヌの肖像のミニアチュールフランス国立中央文書館蔵)。薔薇戦争。百年戦争に敗北したイングランドでは続いて薔薇戦争が起こった。画像はヘンリ・ペイン(英語版)の歴史画で、ヨーク公リチャードが白薔薇を、サマセット公エドムンドが赤薔薇を選んでいる(バーミンガム市美術館)。魔女のイメージの拡散。15世紀には魔女のイメージが変容して、「キリスト教徒の敵」としての位置づけがなされるようになり、異端審問官が介入する魔女裁判がしばしば行われた。画像は棒や箒にまたがった魔女図像の最初期のものでマルタン・ル・フラン(フランス語版)の長編詩『女性の擁護者』の写本(1451年頃)より。活版印刷の始まり。ドイツのマインツの技術者ヨハネス・グーテンベルクの発明が世界の情報を大きく変革した。画像はベルリン国立図書館所蔵の『グーテンベルク聖書(42行聖書)』の「創世記」。帝国都市ニュルンベルク。神聖ローマ皇帝の滞在地として、帝国議会の開催地として、宗教改革が起こるまで繁栄の時代が続いた。画像は1493年に出版されたハルトマン・シェーデル『ニュルンベルク年代記』の挿絵に描かれた都市ニュルンベルクの眺望。中世の秋』。歴史家ホイジンガはこの題名でこの時代のブルゴーニュ公国の歴史を描いた。画像はヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母ルーヴル美術館蔵)」。ニコラ・ロラン(英語版)はこの国の宰相で、背後にはブルゴーニュのオータンの風景が広がる。フィレンツェ共和国の繁栄。画像はブルネレスキの巨大なドーム建築で知られる「花の聖母教会(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)」。


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