13thフロア・エレベーターズ
The 13th Floor Elevators
出身地 アメリカ合衆国
テキサス州オースティン
ジャンルサイケデリック・ロック
ガレージ・ロック
プロトパンク
活動期間1965?1969, 1978, 1984
レーベルInternational Artists
13thフロア・エレベーターズ (The 13th Floor Elevators) は、アメリカ合衆国のロックバンド。ギタリスト兼ボーカリストのロッキー・エリクソン、エレクトリック・ジャグ奏者のトミー・ホール、ギタリストのステイシー・サザーランドらによってテキサス州オースティンで結成され、1965年から1969年まで活動した。[1] その間、インターナショナル・アーティスツ・レーベルから4枚のLPと7枚のシングル盤を発表している。[2]
1966年から1967年にかけて、13thフロア・エレベーターズは商業的な成功を収め、アーティストとしての評価も獲得したが、法律上の問題やドラッグの使用問題に巻き込まれて1968年の終わりごろにはバンドは崩壊状態となった。彼らはごく初期のサイケデリック・ロックバンドのひとつであり、当時の彼らの影響力はZZトップのビリー・ギボンズ、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーのピーター・アルビン、ザカリー・サックスのChris Gerniottisらが認めている。彼らのデビューシングルYou're Gonna Miss Meは1966年にビルボードのチャートで55位のヒットを記録し、後の1972年にガレージロックのコンピレーション・アルバムであるNuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era, 1965-1968にも収録されたことでパンク・ロックの成立にも寄与した( 著名なパンク・バンドであるテレヴィジョンは1970年代中盤、13thフロア・エレベーターズの楽曲Fire Engineをライブで演奏していた)。80年代から90年代にかけては、プライマル・スクリームやスペースメン3といった重要なバンドにも影響を与えた(どちらのバンドも13thフロア・エレベーターズの楽曲をカバーしている。また14 Iced Bearsはシングル曲の中でエレクトリック・ジャグを使用した)。2009年、インターナショナル・アーティスツはSign of the 3-Eyed Menと題する10枚組CDボックスセットをリリースした。アルバム曲のモノバージョンや別テイク、未発表曲やライブ音源などが収録されている。 1965年の12月、13thフロア・エレベーターズはオースティンのローカルな音楽シーンに登場した(同時代にThe WigやThe Babycakesなどのバンドがおり、また後にShiva's HeadbandやThe Conquerooなどが現れるシーンである)。バンドは、ザ・スペーズというバンドを脱退したあとのロッキー・エリクソンが、テキサスの沿岸の街、コーパスクリスティでザ・リングズメンとして活動していたステイシー・サザーランド、ベニー・サーマン、ジョン・アイク・ウォルトンらと合流して結成された。[3]トミー・ホールはメンバーらを引き合わせるのに一役買い、自身も作詞家兼エレクトリック・ジャグ奏者としてグループに加入した。 バンド名は、ドラマーのジョン・アイク・ウォルトンが提案した「エレベーターズ」という名前に、クレメンティン・ホール(トミー・ホールの妻)が「13thフロア」という語句を付け足して生まれた。[4]当時13階を持っている建物などほとんどなかったことに加え、マリファナ(marijuana)の頭文字であるMが13番目のアルファベットであることも関係している。[3] 1966年の1月はじめ、バンドはプロデューサーのゴードン・バイナムに連れられてヒューストンへ移動し、シングルとして発表するための2曲(エリクソン作のYou're Gonna Miss Meと、ホールとサザーランド共作のTried To Hide)をレコーディングした。このシングルはオースティンで大きな成功を収め、テキサス州内のほかの都市にも衝撃が伝わった。数ヵ月後、インターナショナル・アーティスツ・レーベルはこのシングルを再リリースした。 1966年の春の間、バンドはテキサス州中をツアーでまわった。オースティン、ダラス、ヒューストンなどのクラブで演奏し、各地の若者向けテレビ放送にも出演した。夏になると、インターナショナル・アーティスツが再リリースしたYou're Gonna Miss Meがテキサス州の外(特にマイアミ、デトロイト、サンフランシスコ・ベイエリアなど)でも人気を博すようになり、10月にはビルボードのチャートで55位に到達した。このシングルの成功を受けてバンドは西海岸でツアーを行ない、テレビ出演をこなしたり、サンフランシスコにある劇場に出演して演奏したりした。 ヒューストンを拠点にしていたインターナショナル・アーティスツ・レーベルはエレベーターズと契約を結び、11月にはアルバム『The Psychedelic Sounds of the 13th Floor Elevators』をリリースした。このアルバムは当時広まっていたカウンターカルチャーのなかで人気となった。[3]また、LSDなどの薬物を「より高い場所」「意識の"非アリストテレス"的状態」へ至るための入り口として賞賛したスリーヴ・ノート(トミー・ホールの筆による)も、アルバムが伝説的評価を獲得するのに貢献した。
歴史
結成からブレイクまで