10cc
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この項目では、バンドについて説明しています。アルバムについては「10cc (アルバム)」をご覧ください。

10cc
左から時計回りに、エリック・スチュワート、ケヴィン・ゴドレイ、グレアム・グールドマン、ロル・クレーム(1974年)
基本情報
出身地 イングランド ストックポート チェシャー
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

アート・ロック[1]

アート・ポップ[2][3]

ノベルティ[4]

ポップ・ロック[5]

プログレッシブ・ポップ[6]

ソフトロック[7]

活動期間

1972年 - 1983年

1992年 - 1995年

1999年 -

レーベル



UKレコード

マーキュリー

ポリドール




ワーナー・ブラザース




キングレコード

日本フォノグラム

cutting edge


公式サイトユニバーサルミュージック・ジャパンの公式サイト(10cc)

メンバー

グレアム・グールドマンベース・ギター・ボーカル)

ポール・バージェス(ドラムス

リック・フェン(リードギター・ベース・ボーカル)

イアン・ホーナル(ボーカル・ギター・パーカッション)

キース・ヘイマン(キーボード・ギター・ベース・ボーカル)


旧メンバー

エリック・スチュワート

ケヴィン・ゴドレイ

ロル・クレーム

スチュアート・トッシュ

ダンカン・マッケイ

トニー・オマリー

ヴィク・エマーソン

ミック・ウィルソン

マイク・スティーヴンス

10cc(テンシーシー)は、イギリス (イングランド) で結成されたバンドである。
経歴
初期のバンド活動

デビューは1972年8月。しかしオリジナルメンバー4人は、1960年代から音楽業界で活動を行っていた。ロル・クレームとケヴィン・ゴドレイはお互いを知っていた。彼らは英国のユダヤ人コミュニティで、音楽活動をしたりしていた。

エリック・スチュワートはいくつかのバンドを経て、1963年6月にウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのギタリストとしてレコード・デビュー。1964年6月、グレアム・グールドマンは自身のバンドThe Whirlwindsのレコード・デビューに際して、B面曲としてザ・セイバーズ・The Sabresにいた友人のロル・クレームの曲を採用するが、ヒットせずにバンドは解散。グレアムはセイバーズからドラマーのケヴィン・ゴドレイを引き抜いて新バンド、ザ・モッキンバーズを結成、1965年2月に改めてレコードデビューした。デビュー曲としてグレアムは「フォー・ユア・ラブ」を作曲するがレコード会社に拒否され、代わりに「That's How (It's Gonna Stay)」をレコーディングする。「フォー・ユア・ラブ」はその後ヤードバーズ[注釈 1]がレコード化、全英3位の大ヒットとなる。同曲はアメリカでもヒットしている。一方モッキンバーズのレコードは不発に終わり、その後レコード会社を移籍しつつ5枚のシングルを発表したもののヒットを生み出せずに解散[8]

グレアム・グールドマンは66年、ホリーズに名曲「バスストップ」を提供し、人気作曲家となった。彼はハーマンズ・ハーミッツにも曲を提供している。またピーター・カワップやジョン・ポール・ジョーンズたちとのバンド活動を経て、1968年7月には自作曲のセルフカバーアルバム『ザ・グレアム・グールドマン・シング』を発表している。モッキンバーズ解散後ケヴィンは再びロルとコンビを結成、組み立て絵本などのデザイナーで生計を立てる一方、グレアムのマネージメントで1967年、”Yellow Bellow Room Boom”名義でシングル「Seeing Things Green」を発表している。ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズは1965年1月の6thシングル「ゲーム・オブ・ラブ」が全英2位/全米1位の大ヒットを記録した[9]。その後低迷しリーダーでボーカルのウェインがソロ・アーティストとして独立する。残ったバンドメンバーはエリックをボーカルに据えザ・マインドベンダーズとして再出発を図る。1965年12月に発売された1stシングル「恋はごきげん」は全英2位全米2位の大ヒット、その後「Ashes To Ashes」もヒットするなど順調な活動が続く。1967年にはシドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』に曲を提供、バンド自身もゲスト出演している。1967年11月のシングル「Schoolgirl」はグレアムの作曲・プロデュース。このレコーディングでエリックと意気投合したグレアムは、後に脱退したベースの代わりにバンドに正式参加しシングル「Uncle Joe The Ice Cream Man」ではリードボーカルをとっている。バンドはこのシングルを最後に解散、エリックはグレアムを誘い、ストロベリー・スタジオの共同出資者となる。グレアムはロルとケヴィンをスタジオミュージシャンとして誘い、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。
前史

1969年9月ヤードバーズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーの設立したレーベル「Marmalade」から、Frabjoy & Runcible Spoon名義でシングル「I'm Beside Myself」をリリース。ケヴィンの「ヘブンリー・ヴォイス」に惚れ込んだゴメルスキーがケヴィンとロルを「第二のサイモン&ガーファンクル」とすることを目指したと言われている。アルバム制作も着手されたがレーベルの経営が悪化したために頓挫。同じ頃グレアムに対して、米国バブルガム・ミュージックの総本山カセネッツ=カッツ・プロダクションから作曲の依頼が届く。渡米したグレアムは作曲契約と同時に彼らの傘下アーティスト用楽曲レコーディングのため3カ月間ストロベリー・スタジオを貸し出す契約を結ぶ事に成功する。

その留守中に当時はまだ珍しかった4トラック・レコーダーが届き、試験録音も兼ねて3人が冗談で録音した「ネアンデルタール・マン」がたまたまその場にいた旧知のレコード会社社員の耳に入り、1970年6月ホットレッグス名義でリリースされる。このシングルは世界の総計でミリオンセラーとなるヒットを記録したが、その急激なヒットに怖じ気づいた3人はアンティグア島に雲隠れしてしまい、結果スターへの道を自ら棒に振ってしまう。アルバム『シンクス:スクール・スティンクス』が発売されたのは9カ月後の1971年3月。頓挫したアルバム『Frabjoy & Runcible Spoon』の楽曲を中心に構成されたというそのアルバムは、英米盤でそれぞれ別ミックスを収録するなど意欲的な作品だったが、既に「ネアンデルタール・マン」ブームは終了していて不発に終わる。その後も4人はDoctor Father、Fighter Squadron、Amazon Trust、The New Wave Bandなどとバンド名を変えながらシングルをリリース。


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