当初は全国で24本の「100m道路」が計画されていたものの、日本占領軍であった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による「敗戦国に立派な道路は必要ない」との反対や、1949年(昭和24年)のドッジ・ラインに基づく緊縮財政などにより、ほとんどの道路は幅員が縮小され、愛知県名古屋市の2本と、広島県広島市の1本のみが100m幅として実現した[1]。 以下の3本の道路が「100m道路」と呼ばれている。 北海道札幌市の大通公園および北海道釧路市の柳町公園は共に「100m道路」に近似している。但し、前者は既に明治時代から存在しており、後者も運用を終えて不要となった運河を埋め立てる事により生じた広大な遊休地 なお、東京湾岸道路(国道357号・首都高速湾岸線)[3]や大阪府道2号(中環)もその大部分が100mの幅員であるが、「100m道路」と呼ばれることはあまりない。 四日市市の中央通りも第二次世界大戦後の戦災復興都市計画で造られたものだが、幅は70mである。
該当道路
久屋大通 - 愛知県名古屋市
若宮大通 - 愛知県名古屋市
平和大通り - 広島県広島市
各地にある通称が100mの道路
大分いこいの道 - 大分県大分市においても同様に幅員100mの道路が存在する。
水島緑地 - 岡山県倉敷市
かつて計画されていた道路
東京都[2]
放射5号 麹町区麹町二丁目 - 四谷区四谷三丁目
放射6号 牛込区市谷本村町 - 中野区本町一丁目
放射12号 京橋区寶町一丁目 - 下谷区三之輪町
放射14号 下谷区御徒町一丁目 - 浅草区蔵前一丁目
放射15号 麹町区九段一丁目 - 城東区亀戸七丁目
放射19号 京橋区寶町一丁目 - 芝区田町四丁目
放射32号 深川区東陽町三丁目 - 本所区向島押上町
放射33号 京橋区槙町一丁目 - 京橋区八丁堀一丁目
放射34号 京橋区槙町一丁目 - 京橋区新川一丁目
環状1号 麹町区九段二丁目 - 麹町区九段一丁目
環状2号 芝区新橋四丁目 - 下谷区御徒町一丁目
その他
脚注[脚注の使い方]^ a b c 「日本再生の記憶と遺産」 『日本経済新聞』 2011年8月10日 朝刊社会面
^ 東京の戦災復興計画と幻の百メートル道路
^ “東京湾岸道路について【計画概要】”. 国土交通省関東地方整備局. 2020年5月8日閲覧。
関連項目
戦後復興期
7月9日大通り - アルゼンチン・ブエノスアイレスにある幅員が110mある道路