100円ショップ
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100円ショップ(ひゃくえんショップ)とは、店内の商品を原則として1点100日本円均一(消費税込み110円、飲食物は108円)で販売する形態の小売店。別名「100円均一ショップ」およびそれを省略した「100均」・「百均」(ひゃっきん)と呼ばれることもある。

本項では、300円ショップなどについても取り扱うこととする。
概要

販売商品は、加工食品化粧小物食器や調理道具、乾電池などの日用品文房具が多く、ほとんどの場合、大量の店舗(チェーンストア)を保有している。

大創産業(ダイソー)・セリアキャンドゥワッツ(ミーツ・シルク)の大手4社で合計約5500店舗、売り上げ高は約5500億円(2012年度)[1]

100円ショップも創業家の株式保有が高く、流通系企業が大株主になっているところはない、創業家のカラーを残した経営体制と大手系列に属さない営業展開の自由度が、100円ショップの成長を支えてきた[2]

100円というキリのよい価格設定が手軽で安いワンコインというイメージとあいまって人気を博している。実際は消費税込みで食品は108円、それ以外は110円(標準税率の場合)で販売する店も多い。また99円など100円以下の価格で統一している店や、基本的に100円だが200円や300円、500円といった商品を一緒に販売している店もある。


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店舗の例、ダイソー神田神保町すずらん通り店、東京都千代田区

店舗の例、セリア御影クラッセ店、兵庫県神戸市東灘区

店舗の例、キャンドゥ寺町店、京都府京都市中京区

店舗の例、シルク100円ショップ徳庵店、大阪府大阪市鶴見区

歴史
前史
江戸・明治時代における均一価格による店舗

「商品を均一価格で売り出す」というアイデアは、日本国内においては古くは享保7年?8年(1722年?1723年)頃から江戸で流行した「十九見世」(十九文店、十九文屋[3][4][5]文化6年?7年(1809年?1810年)頃から江戸で流行した「三十八文見世」(三十八文店、三十八文屋)[4][5]、同時期に江戸で流行した均一価格の食べ物屋台「四文屋」[5][6]、明治時代前半の頃の天保通宝の8通用を意識した「8厘均一」や「2銭8厘均一」、松屋呉服店(現:松屋)が1908年(明治41年)に行った「均一法大売出し」や1910年(明治43年)に行った「一円均一」という例がある[7]
十銭ストア

現在の100円ショップに近い業態を営んだ戦前の例として、島屋が全国に展開した「十銭ストア(テンせんストア[7])」が挙げられる。アメリカの「10セントストア」を参考にしたものとされる[7]消費者物価指数でみた場合、1935年時点の10銭は2015年の180円程度に相当する(1935年を1とした場合、概算で2015年は1,800前後[8])。

1926年(大正15年)に大阪・長堀店に「なんでも十銭均一売場」を設置したのを皮切りに、1930年(昭和5年)には難波南海店に「島屋十銭ストア」を開業した[9]。その後1932年(昭和7年)にかけて独立型の店舗50店を大阪・京都・名古屋・東京周辺に展開し、大好評を博したという[9]

「十銭ストア」の取り扱い商品は「日常家庭生活に必要なものはほとんど全部」に及び[9]、その種類は約2000種近くに達した[7]。商品調達にあたっては均一店専門の納入業者を開拓、生産者との直接取引を導入するとともに、生産者への指導・援助も行い、均一店向けの商品開発や商品の標準化にも積極的に関与したという[9]

その後、同業他社も均一店を展開し始める。1931年(昭和6年)に福屋の4階に10銭均一の売場が設けられ、1年後に場所を変えて「福屋十銭ストア」を開業。後には50銭均一や1円均一の商品も増え、1937年(昭和12年)に閉店するまで商店街の名物的存在として親しまれた[10]。1932年(昭和7年)には、松屋も銀座に同種の均一店を展開した[7]

「島屋十銭ストア」の成功は他業種の価格破壊に影響を与えたとみられ、作家の織田作之助は小説『世相』において、「テンセン(十銭)という言葉が流行して、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}十(テン)銭寿司、十(テン)銭ランチ、十銭マーケット、十銭博奕、十銭漫才、活動小屋も割引時間は十銭で、ニュース館も十銭均一、十銭で買え、十銭で食べ十銭で見られるものなら猫も杓子も飛びついた」と描写している[11]

のち「島屋十銭ストア」は1932年(昭和7年)に「島屋十銭二十銭ストア」、1937年(昭和12年)に「島屋十銭二十銭五十銭ストア」へ改称した。

1937年(昭和12年)に施行された百貨店法によって規制が強まると、島屋は均一店事業を本社から切り離して「株式会社丸高均一店」を設立[9]1941年(昭和16年)には全国に100店を超えるチェーンを築いたが、その後の太平洋戦争により経営基盤を奪われ実質的な廃業に至った。なお、残存したいくつかの店舗は1952年(昭和27年)に「株式会社丸高」のストア部門(後に「島屋ストア」)として再出発し、2003年(平成15年)にはイズミヤに買収され、商号を「カナート」へと変えて現在に至っている[9]が、戦後のこれら店舗はいわゆる100円ショップの業態をとってはいない。
1960年代の催事販売

100円ショップに見られるような均一低価格による販売手法は1960年代から行われていたが、当時のそれはスーパー百貨店などの催し物として1週間程度の期間に限るものであった。この販売形式を「催事販売」、これを行う業者を「催事業者」と呼び、催事業者らは各店舗を定期的に巡回して催事販売を行った[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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