1区現象
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1区現象(いっくげんしょう)とは、1996年以降の衆議院議員総選挙小選挙区において、都道府県庁所在地が存在する1区で自民党候補が対立候補に敗北する現象のこと。
概説

日本の選挙では、自民党は農漁村部に強く、野党は都市部に強いという傾向が一般的にあったが、都道府県庁所在地はおおむねその県で最も都会的な地域であり、都道府県庁所在地が存在する1区で自民党候補が苦戦を強いられることが多かった。この現象は小選挙区制度が導入されてから起こり始めたように思われるが、自民党候補が1区で苦戦を強いられる現象は中選挙区時代の1979年の衆院選から起こり始めている。

2000年の衆院選では閣僚経験者や国会や党の重要地位にいた自民党大物候補が野党候補や保守系無所属候補(中には新人候補にも)に負け、比例復活当選もできなくて落選する現象が都市部で多発し、そのような選挙区は都会的な1区で多かったことから、1区現象と呼ばれるようになった。1996年の衆院選でも1区において野党候補が自民党大物候補に勝つ現象が起きていたが、自民党大物候補が比例復活当選をしている事例が多かったため、2000年の衆院選のような衝撃度はなく、注目されなかった。2000年の場合は自民党比例区上位候補者が単独・重複問わず多かったため、比例同一順位候補の復活当選は4人[注釈 1](その後の繰り上げ当選を入れれば5人[注釈 2])しかおらず、余計に1区現象が目立つこととなった。

2000年以降、総選挙では1区は全体の勝敗を左右すると思われるようになり、大政党が1区対策に力を入れるようになった。

2005年の衆院選では郵政民営化を大きな争点とする総選挙により、都市部で弱かった自民党が都市部で勢いがついて都市部で大勝する一方、都市部で強かった民主党が苦戦を強いられる逆1区現象が発生した[1]。しかし、その次に行われた2009年の衆院選では一転して民主党が優勢に選挙戦を進め、自民党が強いとされた保守王国や大物自民党政治家の存在などのために一度も野党が獲得したことのなかった9選挙区などで民主党が勝利し、過去最大の1区現象(民主旋風)が実現して民主党政権誕生につながった。

なお、自民党が都市部で敗北しやすい現象は、上述のように1970年代後半から発生している。1979年当時は1区現象と言う言葉はまだ使われていなかったが、この年の総選挙で自民党が過半数を大きく割った原因は、都市部に近いほど自民党が議席を取れなかったからである。以後も衆院選で自民党が敗北するときは大抵こうした傾向にあったので、1979年の衆院選がのちに1区現象と呼ばれる発端となった選挙だったといえる。それを象徴する議員が首都東京1区選出の与謝野馨衆議院議員である。与謝野議員は1976年に初当選して以来通算10回当選しているが、過去2回の落選は、都市部で自民党が大敗した1979年と1区現象が完全に定着した2000年である。

一般的には自民党が落選して非自民第一党(主に民主党の系譜を受け継ぐ党)が当選する事象を指すが、沖縄の1区においてはオール沖縄が支援する日本共産党の候補が2014年の衆院選以降小選挙区で連続当選しており、大阪の1区においては大阪維新の会を母体とする国政政党(主に日本維新の会の系譜を受け継ぐ党)が2012年の衆院選以降、2017年の衆院選を除いて小選挙区で当選している[注釈 3]
1区現象の例

2000年の衆院選選挙区落選した自民党候補当選した野党候補
名前役職名前政党議員歴
1区における1区現象
岩手1区玉澤徳一郎農林水産大臣達増拓也自由党衆1
宮城1区愛知和男元防衛庁長官[注釈 4]今野東民主党新人
栃木1区船田元元経済企画庁長官水島広子民主党新人
東京1区与謝野馨元通商産業大臣海江田万里民主党衆2


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