ジェームズ・ボンドには、任務遂行中は自分の一存で容疑者を殺めても不問にされる殺人許可証(いわゆる「殺しのライセンス」)が与えられており、「007」(00セクションに所属する7番の番号を振られたエージェント)のコードネームを持つ。
英語圏では、普通これを「ダブル・オー・セブン(Double O Seven)」と読む[注釈 2]。なお、映画『007は二度死ぬ』の劇中では、タイガー田中が「007」を"zero zero..."と発音しているシーンもある。
英語圏以外では読み方は様々で、ドイツでは"null null sieben"、フランスでは"zero zero sept、日本では「ゼロ・ゼロ・セブン」などと読まれることも多い[注釈 3]。コカ・コーラ ゼロが『慰めの報酬』公開時にタイアップした時には、「zero zero 7」のデザインで日本を含む世界35か国以上の国々で発売された。 ジェームズ・ボンド 小説・短編小説シリーズ
イアン・フレミングの小説
James Bond Novel and Short stories
著者イアン・フレミング
訳者井上一夫
発行日 イギリス:
1953年4月13日 - 1966年6月23日
発行元 ジョナサン・ケープ
早川書房
ジャンルスパイ
国 イギリス
言語英語
形態上製本
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ジェームズ・ボンド
007 カジノロワイヤル
007 死ぬのは奴らだ
007 ムーンレイカー
007 ダイヤモンドは永遠に
007 ロシアから愛をこめて
007 ドクター・ノオ
007 ゴールドフィンガー
007 サンダーボール作戦
007 わたしを愛したスパイ
女王陛下の007
007は二度死ぬ
007 黄金の銃を持つ男
007号の冒険
007号/ベルリン脱出
テンプレート - ノート
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フレミングは銀行員、ジャーナリストなどを経て、第二次世界大戦中は海軍情報部とMI6で特別工作に携わっており、この経験を活かして007を書いたと言われる。
「ジェームズ・ボンド」という、英語圏ではやや凡庸な印象の強い名前は、戦前の活劇映画的な、華やかな印象の名を、フレミングが意識的に避けたものである。フレミングが愛読する鳥類研究書の著者の名から取られた。
フレミングの小説「007シリーズ」は1953年の第1作『カジノ・ロワイヤル』に始まって、フレミングが没する1964年まで書き継がれる。
当初はそれなりの評価を得ながらも、あまり売れなかった。そのため、フレミングは何度もシリーズを終了しようと考えるが、そのたびに映像化の話が出てきて、シリーズは継続されることになった。本格的に売れ始めるのは1950年代後半で、そのきっかけは、フレミングと縁があったケネディ米大統領が『ロシアから愛をこめて』を愛読書のリストの中に入れたことだった[注釈 4]。