「わたつみのかみのみや」とよむ。わたつみは「海の神霊」の意味で、海宮また海神宮、海童宮[2] とも書かれ「わたつみのみや」とも称される。『古事記』や『日本書紀』[3] にみられる海神の住んで居る宮殿の名称。記紀神話や寺社関係の文書類において記されるが、宮殿の描写などには中国文化を通じて摂取された龍宮の影響が色濃く強くみられる[4]。
山幸彦と海幸彦
海神(わたつみ)が住む宮殿として登場。山幸彦(彦火火出見尊)が失くしてしまった兄の釣り針を探しに向かう行先として登場する。無間勝間之小船(まなしかつまのおぶね)が移動手段として用いられる(『古事記』上巻、『日本書紀』巻第2、『彦火火出見尊絵巻』)。
行先については中世から近世にかけて「龍宮」や「龍宮城」という名前で称されることが一般的になっており、『若狭彦若狭姫大明神秘密縁起』[5] といった寺社縁起や、吉田兼倶による『日本書紀』の解説(龍宮・龍王[6] の呼称が用いられている)、物語や和歌の注釈書[2]、都の錦『風流神代巻』[7](1702年)などの大衆的な版本にもそのような表現が広くみられる。
浦島太郎に登場する『万葉集』における浦島太郎のことをうたった歌のなかでも、龍宮が海若神之宮(わたつみのかみのみや)と表現されている箇所もある[8]。いっぽうで、12世紀に原本がつくられたとされる『彦火火出見尊絵巻』では「海の神」について「龍王」[5] という表現を用いており龍宮と海宮が早い段階から同一の存在としてあつかわれていたことが考えられる。日本各地で水の中の世界を「龍宮」と称する呼び方が多用されているのも、その延長線上にある。 乙姫あるいは龍王が統治する世界として水中に存在するとされている宮殿あるいは世界。日本の物語(『お伽草子』など)や昔話・伝説では「わたつみのみや」などにくらべ「龍宮」であるとする設定が数多くみられる、そのため、龍宮と通じた場所であるとする伝説が残されている地は各地にひろく点在しており、以下にあげた例以外にも全国各地に無数に存在している。能では「上は非想の雲の上。下は下界の龍神」(『和布刈
龍宮
浦島太郎
乙姫が住む宮として龍宮が登場。浦島太郎が助けた亀の背中に乗って行った。
城の中では時の経つのが緩やかであったという。中と外では時の流れが異なっていた。
四季が同時に楽しめる庭が城の四方に存在しており、東には春、南には夏、西には秋、北には冬の景色が存在している[9]。
龍樹
南の海の中にある龍宮で、仏教の経典である『華厳経』のうちの下の巻(上中下の3巻があるとされている)を授かったという伝説が中国などでは仏典などに記される。このときに龍宮から得た経文が文字(梵字)のはじまりとなったとする話(龍宮相承)も存在する[10]。
孫思?(そんしばく)
竜王が住む水中にある宮殿として龍宮が登場。唐の時代の名医・孫思?は蛇を助けて龍宮に行き、龍王から30種類の製薬の方法を教わったという説話が『続仙伝』にある[11]。
月界長者
天竺につたわる説話として、月界長者が造った阿弥陀如来の材料の黄金は、龍宮の黄金(紫摩黄金)とされる。古浄瑠璃『月界長者』[12] などに登場。
安倍晴明(あべの せいめい)
安倍晴明をあつかった近世の説話には、晴明が子供のころに堺で亀がいじめられていたのをたすけた礼に龍宮へつれてゆかれ、龍仙丸(りゅうせんがん)というものをもらったという場面が登場する。これを耳にいれると動物たちのしゃべる言葉の意味が理解できたという。詳細は「安倍晴明物語#安倍晴明物語一代記 ニ」を参照
福島県二本松市(旧塩沢村)
ある人が川で鍬を洗っていて、誤って水中に落とし、水底を探し回っていたら龍宮まで辿りついてしまった。その龍宮では、ただ1人、美しい姫がいて、機織りをしていた。3日目に村へ帰るが、村では25年ほどの時が過ぎていた(龍宮では外の3041分の1以下の時間の流れとなる)。その記念として、機織御前の御社を建てた[13]。
三重県志摩市
伊雑宮に竜宮から戻った海女が持ち帰ったといわれる玉手箱が保管されている。
長崎県対馬市
海神神社や和多都美神社など海神系の神々を祀る古社が多く、古くから龍宮伝説が残っている。
琵琶湖
藤原秀郷が瀬田の唐橋で龍宮の者から救けを乞われ大百足を退治した。龍宮の王は大百足を退治した礼として秀郷に避来矢と呼ばれる神秘的な大鎧を与えた。
宮城県気仙沼市
山神と龍宮がどれだけ珍しいものを知っているかという争いをして、龍宮(龍宮さまとされる女神)が勝った話が漁師に伝承されている。山神はオクズ(気仙沼でタツノオトシゴの意)を観た事がなく、負ける[14]。
香川県三豊市
龍宮城は三豊市詫間町の荘内半島沖にあったとする伝説がある。