黒電話
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木製以外では初めて黒以外の塗装が採用され、.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 若草、 うすねず、 象牙、 えんじ、 ふじ、 あおたけ、 、そして 黒の8色がラインアップされた。
4号A卓上電話機
4号A卓上電話機は、世界水準よりモダンな電話機といわれていた。しかし、2号・3号までのヨーロピアン・デザインから一転した丸みを帯びた筐体のため「ダルマ」と揶揄されもした。筐体と送受話器はベークライトで造られている。3号同様、4号C共電式は4号自動式からダイヤルを廃し、オフフック呼び出し回路を取り付けた形態となっている。3号同様、完全自動化後も着信専用電話、被災地等での臨時設置電話用の端末として、使用されていた。
ボースホーン電話機
ボースホーン電話機 (both phone) は、4号A自動式卓上電話機を2台背中合わせに連結し、送受話器をひとつにまとめた派生形である。ダイヤルは2基有り、前後どちらのダイヤルからでも操作できた。机を向かい合わせに置き、その間に本電話機を設置すれば、1台の電話機と回線をそれぞれの机に座る人間で排他的に共用できる、というアイデア商品だったが、人気は上がらず、不発に終わった。
4号壁掛電話機
4号AW自動式および4号CW共電式壁掛電話機は、日本電信電話公社によって1950年(昭和25年)に制式化された。旧型壁掛電話機の置き換えのために企画され、小型軽量化と資源の節約に留意した設計となっていた。酪酸醋酸セルロースを用いた中空インジェクション・モールドにより強靭・軽量となった。日本家屋の狭い廊下で通行者による送受話器の落下が少ない、上部に送受話器を水平に置く形状となった。通話中に送受話器を一時的に掛けておくこともできる。筐体を空けて底板を木ねじで壁に取り付けて筐体を蝶番で閉じる構造となっていたため、工事上の不良の原因となることもあった。日本人の耳と唇の関係位置の実測により設計された4号よりも短くなった5号送受話器、アルニコ系永久磁石を用いたB-106号磁石電鈴、絶縁紙に金属を真空蒸着したものを2枚巻いたコンデンサC-5号A蓄電器、L-5号誘導線輪、ブランジャー圧力をスパイラルスプリングで受ける構造のプラスチック防塵カバーの双極接点の4号Wフックスイッチ、温度変化・日時の経過によるインパルス速度変化の少ない4号Fダイヤルなどが新規開発された。
4号M磁石式電話機
4号が採用された時期でも、まだ局給電のない交換機は多数残存しており、そうした地域でも回線数そのものは増加していたこともあり、新たに磁石式電話機を製造する必要があった。4号M磁石式電話機は、自動式・共電式とは全く異なる流線形の筐体で、送受話器まで一体感のあるデザインとなっている。
41号M磁石式電話機
41号M磁石式電話機は、日本電信電話公社によって1958年に制式化された。軽量・小型化された丸みを帯びた送受話器の幅の箱形であり、送受話器受けの取り付け方向により卓上・壁掛どちらでも使用できる。
赤電話の元祖
それまで公衆電話は全て逓信省 - 電気通信省が直接設置していたが、1951年(昭和26年)、一般の電話加入権で公衆電話サービスを提供できる、「委託公衆電話」制度が開始された。当初は一般と同じ電話機が使用されていたが、1953年(昭和28年)から、専用に赤く塗装された4号委託公衆電話機が登場し、その後の「赤電話」の元祖となった。このときは料金は「後納式」で、提供者に断って電話を使用し、使用後に料金を払うという方式であった。
加入者数増加に伴う応急策

戦後期の3号電話機の大量導入、続く4号電話機の登場により、日本の一般電話網は完全自動交換化へ大きく動き始めた。日本は戦後復興期から高度経済成長期へと移行し、電話機は「1世帯1回線」の時代に突入、もはや地方であっても手動交換に限界が生じはじめていた。しかし、そのためにいくつかの問題が発生した。
23号自動式壁掛け電話機
問題のひとつは2号自動式壁掛け電話機の存在だった。4号電話機の性能を前提に回線数増強の工事を行うと、伝送特性の悪い2号電話機は通話に支障をきたしてしまった。その2号壁掛け式電話機は首都圏を中心に当時約20万台が使用されていたが、4号電話機は新規加入者への提供でいっぱいで、2号電話機の更新用には確保できなかった。しかし線路や交換機内部の絶縁特性の改善により、3号電話機であればこうした回線増強に耐えられた。そこで苦肉の策として、2号自動壁掛け式電話機のベル装置・受話器・筐体を流用し3号電話機の余剰部品を用いてダイヤル、送話器の交換および側音抑制回路の追加を行う改造を施し、3号並みの伝送性能を持たせて凌ぐこととなった。改造された電話機は23号自動壁掛け式電話機と呼ばれる。送話器が3号電話機の防塵・防湿器つきのものになっているため、未改造の2号電話機とは外観からでも容易に判別できる。『となりのトトロ』に登場する“本家の電話”が本機である。
34号M磁石式電話機
一方、地方に残っていた局給電無しの交換設備も、一足飛びに自動交換化が進められることになった。しかし、その過程では、回線設備を工事しつつ、従来の回線や即時に導入される回線を捌かなければならない。地方では都市部ほど回線が密集していないため、交換設備から端末までの線路長が長くなりがちで、そのためにも磁石式電話機の更新は必要となった。しかし、全ての電話機が回線事業主(電気通信省 - 電電公社)の資産であったことから、4号M磁石式電話機を製造して短期で用途廃止となるのは不経済である。そこで、3号M磁石式電話機の送受話器等を4号のものと交換し、4号相当の性能とした。これを34号M磁石式電話機と呼ぶ。
共電式改造自動式電話機
さらに、共電式交換設備の回線を自動化する場合、先述の通り、3号共電式・4号共電式は各々の自動式電話機と設計を共有しており、簡単な改造で自動式電話機とすることが可能だった。こうして共電式から自動式に改造された3号電話機・4号電話機が存在する。共電式から自動式に改造するためのダイヤルユニットで「5号ダイヤル」が存在する。4号電話機本来のダイヤル機構とは全く異っている。文字盤の数字「1」の下(通常は回転盤で隠れている部分)に製造会社のマークがなく、数字「1」と「8」の内側に文字盤押さえがないので電話機に取り付けられた状態でも4号ダイヤルとは外観で区別できる。
全国ダイヤル自動即時化クロスバー交換機「公衆交換電話網」も参照

全国ダイヤル自動即時化と加入者線の大量増強が求められていた。そのため、電話機からのダイヤルパルスで直接駆動するステップ・バイ・ステップ交換機に加え、電話番号を一旦記憶し交換操作を行うクロスバー交換機(電電公社内部での表記は「クロスバ式」。長音符がない)を設置した。

これは20パルス/秒のパルスダイヤルに対応し、ダイヤルの高速化が可能になった。従来の10パルス/秒のダイヤルのモデルをXXX-A1形、20パルス/秒ダイヤルのモデルをXXX-A2とした。ただし、クロスバー交換機に10パルス/秒電話機を接続しても、20パルス/秒の電話機よりダイヤルの戻りが遅いだけで支障はない。

1967年(昭和42年)より、XXX-P形押しボタンダイヤル式電話機プッシュトーン信号に対応した機能が付加された。1970年(昭和45年)から1982年(昭和57年)まで、計算ができるサービス「DIALS」が電電公社から提供されていた。このサービスのために、電話機の押しボタンの周りに掛けておく各種の計算記号が書かれた透明のシートがあり、電話機に付属していた。

さらに、クロスバー交換機の時代はステップ・バイ・ステップ方式に比べはるかに短く終わり、半導体による無接点の電子交換機の時代に突入した。


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