戦後期の3号電話機の大量導入、続く4号電話機の登場により、日本の一般電話網は完全自動交換化へ大きく動き始めた。日本は戦後復興期から高度経済成長期へと移行し、電話機は「1世帯1回線」の時代に突入、もはや地方であっても手動交換に限界が生じはじめていた。しかし、そのためにいくつかの問題が発生した。
23号自動式壁掛け電話機
問題のひとつは2号自動式壁掛け電話機の存在だった。4号電話機の性能を前提に回線数増強の工事を行うと、伝送特性の悪い2号電話機は通話に支障をきたしてしまった。その2号壁掛け式電話機は首都圏を中心に当時約20万台が使用されていたが、4号電話機は新規加入者への提供でいっぱいで、2号電話機の更新用には確保できなかった。しかし線路や交換機内部の絶縁特性の改善により、3号電話機であればこうした回線増強に耐えられた。そこで苦肉の策として、2号自動壁掛け式電話機のベル装置・受話器・筐体を流用し3号電話機の余剰部品を用いてダイヤル、送話器の交換および側音抑制回路の追加を行う改造を施し、3号並みの伝送性能を持たせて凌ぐこととなった。改造された電話機は23号自動壁掛け式電話機と呼ばれる。送話器が3号電話機の防塵・防湿器つきのものになっているため、未改造の2号電話機とは外観からでも容易に判別できる。『となりのトトロ』に登場する“本家の電話”が本機である。
34号M磁石式電話機
一方、地方に残っていた局給電無しの交換設備も、一足飛びに自動交換化が進められることになった。しかし、その過程では、回線設備を工事しつつ、従来の回線や即時に導入される回線を捌かなければならない。地方では都市部ほど回線が密集していないため、交換設備から端末までの線路長が長くなりがちで、そのためにも磁石式電話機の更新は必要となった。しかし、全ての電話機が回線事業主(電気通信省 - 電電公社)の資産であったことから、4号M磁石式電話機を製造して短期で用途廃止となるのは不経済である。そこで、3号M磁石式電話機の送受話器等を4号のものと交換し、4号相当の性能とした。これを34号M磁石式電話機と呼ぶ。
共電式改造自動式電話機
さらに、共電式交換設備の回線を自動化する場合、先述の通り、3号共電式・4号共電式は各々の自動式電話機と設計を共有しており、簡単な改造で自動式電話機とすることが可能だった。こうして共電式から自動式に改造された3号電話機・4号電話機が存在する。共電式から自動式に改造するためのダイヤルユニットで「5号ダイヤル」が存在する。4号電話機本来のダイヤル機構とは全く異っている。文字盤の数字「1」の下(通常は回転盤で隠れている部分)に製造会社のマークがなく、数字「1」と「8」の内側に文字盤押さえがないので電話機に取り付けられた状態でも4号ダイヤルとは外観で区別できる。
全国ダイヤル自動即時化クロスバー交換機「公衆交換電話網」も参照
全国ダイヤル自動即時化と加入者線の大量増強が求められていた。そのため、電話機からのダイヤルパルスで直接駆動するステップ・バイ・ステップ交換機に加え、電話番号を一旦記憶し交換操作を行うクロスバー交換機(電電公社内部での表記は「クロスバ式」。長音符がない)を設置した。
これは20パルス/秒のパルスダイヤルに対応し、ダイヤルの高速化が可能になった。従来の10パルス/秒のダイヤルのモデルをXXX-A1形、20パルス/秒ダイヤルのモデルをXXX-A2とした。ただし、クロスバー交換機に10パルス/秒電話機を接続しても、20パルス/秒の電話機よりダイヤルの戻りが遅いだけで支障はない。
1967年(昭和42年)より、XXX-P形押しボタンダイヤル式電話機のプッシュトーン信号に対応した機能が付加された。1970年(昭和45年)から1982年(昭和57年)まで、計算ができるサービス「DIALS」が電電公社から提供されていた。このサービスのために、電話機の押しボタンの周りに掛けておく各種の計算記号が書かれた透明のシートがあり、電話機に付属していた。
さらに、クロスバー交換機の時代はステップ・バイ・ステップ方式に比べはるかに短く終わり、半導体による無接点の電子交換機の時代に突入した。