1990年代以降は特撮ブームの再燃により、特撮作品や関連番組、イベントなどへの登場が増え、一般ドラマでの役柄も広がった。2005年には『ウルトラマンマックス』(CBC)で約40年ぶりに防衛幹部役としてウルトラシリーズに本格レギュラー出演し、2006年の『ウルトラマンメビウス』ではテレビシリーズと劇場版で再びハヤタ役として出演(ウルトラマンの声も兼任)した。
人物・エピソード
特技は、乗馬[1]。趣味は、アフリカ旅行、陶芸、料理[1]。
『ウルトラマン』への出演を経て仕事が減り、不安を覚えていた31歳の時、日本テレビのカメラマンとなっていた高校の先輩の言葉に刺激され、オートバイでアフリカ大陸の横断に臨む[13]。サハラ砂漠の横断こそ断念した[13]もののアフリカ大陸に魅せられて以来、ケニアの孤児院建設や里親募集運動などにも携わっている[2][7]。
ヒーロー役から悪役へ転じたことについては、三枚目としてそれなりに思う通りの役作りができて楽しかったという[19]。
既婚で二女あり[23]。長女の吉本多香美は女優として活動し、平成ウルトラシリーズ第1作『ウルトラマンティガ』でレナ隊員役としてレギュラー出演した[24]。また、多香美とはタマノイ酢「はちみつ黒酢」のCMで父娘共演し、2008年公開の映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』でもハヤタ役と娘役で共演を果たしている。多香美の芸能界志望を知った時には猛反対していたが、妻から「あなた自身がやってきたことを、なぜ娘がしてはいけないの」と問われて反論できず認め、それ以降は応援する側に転じた[19]。
『ウルトラマン』についてのエピソード
ハヤタ役への起用当時、先輩俳優たちからは「ヒーローなんて若い役者がやるもんじゃない」との苦言を呈されており、自身もできればやりたくなかったが、食べていくために務めた[25]。自分の感覚でスマートに務めたが、ややガニ股だったため、監督からは格好よく走るよう注意された[25]。また、科学特捜隊のオレンジ色のユニフォームを着るのにも抵抗があった[25]。週に1本撮るべきところが第1話で1か月もかかるなど撮影スケジュールはとにかく忙しかったため、本放送の期間中は毎回の完成試写に出席することはおろか、1話を通して見たこともなかったという[25]。
第20話において伊豆シャボテン公園でロケを行った際には、銃を撃つシーンで足元がふらつき、誤ってサボテンの上に尻もちをついた結果、トゲが尻に20本ばかり刺さってしまう[出典 7]。痛さのあまり身動きが取れず撮影ができなくなったため、スタッフやキャストがズボンを脱がし、その場でトゲを抜いてもらったという[26][27]。
上記のような状況だったこともあり、出演していたことには触れたくないうえに他人から触れられたくもなかったため、実際に6話ほどを通して見たのは1998年の60歳当時に『ハヤタとして、父として』を出版する際だった[25]。本編の面白さや出来に感心し、これならファンが付くだろうと納得したが、台本で頭に入っていたものの展開までは知らなかったため、以前は呼ばれても話せなかった[8]。数度のブームを経て海外での評価などにも耳を傾けるうち、スタッフと共に作って出演したことに、誇りを持てるようになったという[8]。
『ウルトラマン』で印象深い怪獣に、ピグモン、ウー、ゼットンを挙げている[22]。
出演
映画
六本木の夜 愛して愛して(1963年、東宝) - 山田[注釈 3]
暁の合唱(1963年、東宝) - 小出三郎[注釈 4]
恐怖の時間(1964年、東宝) - 若林進
国際秘密警察シリーズ
国際秘密警察 虎の牙 (1964年、東宝) - サバト
国際秘密警察 鍵の鍵(1965年、東宝) - ウィン・ファット
ゴジラシリーズ(東宝)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) - 暗殺団手下1[28][5]
怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) - 気象観測機機長[28][4]
怪獣総進撃(1968年) - コントロールセンター所員A[28][4](黒岩信[29])
ゴジラvsキングギドラ(1991年) - 航空幕僚長[30]
ゴジラvsモスラ(1992年) - 航空幕僚長[31]
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) - 海自幹部[32]
裸の重役(1964年、東宝) - 梶本
勇者のみ(1965年、東宝) - 西野
100発100中(1965年、東宝) - サングラスの男
けものみち(1965年、東宝) - 黒谷隆
太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年、東宝) - 加藤一水[3][5]
暴れ豪右衛門(1966年、東宝) - 保十郎
狸の王様(1966年、東宝) - 鹿島
奇巌城の冒険(1966年、東宝) - 武官長
ウルトラシリーズ
長篇怪獣映画ウルトラマン(1967年、東宝) - 主演・ハヤタ隊員