黒部進
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生家は農業を営み[13]、父は教師だった[14]中央大学に合格して上京するが、東京の雰囲気に慣れると次第に遊びにはまってしまう[15]。中大四年時には芝居に興味を持ち始め、劇団表現座に身を置く[16][13]。やがて、家賃を滞納したことからホームレスとなってしまい、靴磨きで生計を立てる[17]。ある日、靴磨きの客として来た映画監督山本嘉次郎から、東宝ニューフェイスの受験を勧められる[18][13]1962年、第3回オール東宝ニュータレントに応募して同期23人中トップで合格した[7][13]ものの、黒部自身はホームレスゆえに通知先を友人宅にしていた[18]うえ、彼も不在がちでなかなか連絡がつかなかったため、やむを得ず不合格にされそうになるが、山本が親代わりを務めたことで無事に合格となった[18]

合格後は俳優研修所に入り、日本舞踊モダンバレエ、発声とセリフの稽古などで修業を積む[18][13]。研修所の同期には緑魔子がいた[18]。同所を最後に出た後、1963年には石坂洋次郎原作の青春文芸作『暁の合唱』で主演の星由里子の相手役としてデビュー[7][13]。出身地にちなみ、プロデューサー(藤本真澄=東宝映画初代社長)から「黒部 進」の芸名を与えられる[11][19]。しかし、『暁の合唱』撮影中は失敗の連続で信頼を失ってしまい、その後は「国際秘密警察シリーズ」などの悪役に転じた[20]1964年本多猪四郎監督『三大怪獣 地球最大の決戦』への出演をきっかけに東宝特撮の常連となる[7]。また、戦争大作『太平洋奇跡の作戦 キスカ』などにも出演した。

1966年、『ウルトラマン』の主人公であるハヤタ役として起用され[7][19]、同作は平均視聴率36.8パーセントを記録し、黒部も「正義のヒーロー」として一躍有名になる[3]。同作終了後は再び東宝映画数本に出演したが、1969年に退社し[9]、テレビに軸足を移す。同年の『燃えよ剣』(NET)では新選組隊士・永倉新八を演じたが、その後は時代劇刑事ドラマ、特撮で主にゲストとして悪役を演じるようになった[21][19]。『西部警察』の悪役にスポットを当てたDVDソフトシリーズ「ダーティーキャラクターコレクション」では、八名信夫阿藤快と並んでパッケージの表題を飾っている。一方、1977年の『小さなスーパーマン ガンバロン』では主人公・天堂輝の執事ムッシュ役を演じ、悪役とは違った一面を見せている[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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