黒色青年連盟
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うち22人は騒擾罪で起訴された[6]

内閣総理大臣を務めていた若槻禮次郎は、協調会館の演説会は事故もなく解散したこともあって、警視庁側に手落は無いとし警視庁側の処分は一切行わなかった[3]。また、普通犯罪と同一でないことと、無政府主義取締を声明した[3]
壺井繁治襲撃

1927年12月、萩原恭次郎らが創刊したアナキスト系雑誌『文芸解放』11号に「我等は如何に彼等と対立するか」を掲載し、アナキズムからマルキシズムへの転回を示した壺井繁治が黒色青年連盟員に襲撃され重傷を負う[7]
機関誌

機関誌として『黒色青年』を1926年4月5日から1931年2月10日まで24号発行していた[1]

『黒色青年』は、1975年に黒色戦線社から復刻版が出版されている[1]
関連人物

緒方昇

八太舟三

脚注・出典^ a b c “書誌情報:黒色青年 : 黒色青年連盟機関紙”. 国立国会図書館. 2016年11月30日閲覧。
^ a b c d e f 『黒色青年』の記述に依る。
^ a b c d e “銀座街頭の暴行と革命歌高唱”. 東京朝日新聞夕刊. (1926年2月3日) 
^ 講演会解散命令に憤慨し銀座で大暴れ『東京朝日新聞』大正15年2月1日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p193 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 無政府主義者ら次々と検挙される『東京朝日新聞』大正15年2月2日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p194)
^ 二十二人が起訴される『時事新報』大正15年2月16日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p194)
^ 梅田俊英. “書評と紹介 秋山 清著『秋山清著作集』全12巻” (ODF). 大原社会問題研究所. 2016年11月30日閲覧。

外部リンク

黒色青年 : 黒色青年連盟機関紙


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