「キャラクターは画であるけれど生身の存在だと思っている」と語り、それを生々しいまでに表現しようとする[11]。映画『機動警察パトレイバー the Movie』では、自由にやっていいと言われた黄瀬が高田明美によるデザインを完全に無視してキャラクターを描いた結果、それまでのOVAとは大幅に違ってしまい、完成後に波紋を呼んだ[8]。二作目の『機動警察パトレイバー2 the Movie』では、高田の方が1作目の黄瀬の絵に寄せてリアルめのキャラクターを描いてきたところ、それをまた無視して、もっとひどくリアルに描いた[8]。
押井からは「元々色んな絵柄をやっていけて、あまりにも巧すぎて『自分の名前の売り所を自分から無くしているんじゃないか』という位何でも書くんです。ただ、黄瀬本人はアニメーター達が無意識に忌避して書きたがらない『中年男性』『日本人の顔』が大好きで、逆に『可愛い女の子』が全然描けないことで業界内では有名」[12]「佇まいを描かせると天才的にうまい」「『立っている』『座っている』絵だけで肉体の存在感・情緒まで描き上げている」[13]と評されている。
リアルへのこだわりは一貫しているが、それはカメラのレンズがつくるリアルではないと自身は考えている[6]。黄瀬は2000年の『BLOOD THE LAST VAMPIRE』が自らの画作りの転換点であったと述べ、原作者の寺田克也の画を「コミック調のリアル」と表現し、そのマンガ的なニュアンスを取り入れている[6]。その後、キャラクターデザインを手がけた『xxxHOLiC』シリーズでは、頭身が高く手足の長い、デフォルメされたCLAMPの絵柄に挑戦し、逆に『メイドインアビス』ではつくしあきひとの大幅にデフォルメされた丸っこいキャラクターにもとづいたデザインをするなど、実在の人間の骨格に囚われないマンガ的なキャラクターへの思い入れも強く表現するようになる[6]。 学生の頃からアニメが好きは好きだったが、業界を目指したのは、「画を描いてメシが食えたらいいなと思った」という理由が一番大きい[2]。アニメーションに関わるようになったきっかけは、高校の時に仲間とペーパーアニメのようなものを作って自分が描いたものが動いたのを観た時に「面白い」と思ったから[2]。学生時代はアニメというよりは漫画っぽい画を描いていた[2]。 『あしたのジョー』シリーズや『エースをねらえ!』のアニメのキャラクターデザインを手がけた杉野昭夫の絵が好きだと語っている[11]。 石川光久は「社会人としてはまったく褒められたもんじゃない(笑)。でも男気がある。例えば『内容が重くて、スケジュールもほぼ余裕がない』『100人頼んだら、100人断る』ような仕事を引き受けて、ものすごいクオリティで上げてくれたりする。そうかと思えば納期ギリギリまで本当に何もしない、ハラハラしていると最後の1カ月で1年分の仕事を終わらせちゃう。0か100しかない」と評している[14]。 人間ドラマに寄った様なモノが好きであり、影響を受けた作品としてアニメでは『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『AKIRA』、映画では『ブリキの太鼓』、『17歳のカルテ』を挙げている[15]。
人物
エピソード
インタビュー嫌いで知られ、たまにインタビュー記事が掲載されてもぶっきらぼうな受け答えのときがある。
押井守は「日本で一番バセット(バセットハウンド、押井お気に入りの犬種であり自身の作品に度々登場する)を描くのが上手い男」と評しているものの、本人は「自分以外描いていない」と述べている。しかし、『イノセンス』制作時にはスケジュールの都合でバセットが登場するシーンの作画を外され、後に演出を務めた西久保瑞穂に「一生恨みますよ」と漏らしている。
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』製作中にスタッフの間で『バーチャファイター』が流行し、黄瀬も仕事の合間を縫ってゲームセンターに通っていた。なかなか仕事に戻ってこない黄瀬を連れ戻すために制作進行がゲームセンターへ使い走りされたり、時には押井自らがゲームセンターに赴き、「俺と勝負して負けたら仕事に戻れ」とバーチャ対決を繰り返していたという。
参加作品
テレビアニメ
1983年
サイコアーマー・ゴーバリアン(動画)
キャプテン翼(原画)
1984年
超力ロボ ガラット(原画)
重戦機エルガイム(原画)
1985年
ダーティペア(原画)
蒼き流星SPTレイズナー(原画)
1986年
昭和アホ草紙あかぬけ一番!(原画)