『日本書紀』では『古事記』のような形式で直接「黄泉の国」の神話を持ち込むことはせず、神代紀上巻第五段本文には「黄泉の国」に関する言及はない[3]。また、『日本書紀』では本文間で「一書云」の形で異伝が語られる[8]。『日本書紀』の神代紀上巻第五段では、一書第二でイザナミが火の神を生んで亡くなるとするが「黄泉の国」に関する言及はない[3]。一書第九・十でも「黄泉の国」としては語らず、「殯斂の処(もがりのところ)」や「伊弉冉尊の所在(ま)す処」として記述される[3]。
一書第六では『古事記』とほぼ同様のイザナギとイザナミの応酬が描かれ、イザナミの埋葬のモチーフに関する記述はないものの[3]、「泉津平坂(ヨモツヒラサカ)」の記述がある[9]。
また、一書第十には「泉平坂」(よもつひらさか)で言い争っていたイザナミとイザナギのもとに菊理姫が現れる記述がある(菊理姫は何かを語ったとなっているが何を語ったかに関する記述はない)[8]。
イザナミの葬地が三重県熊野市有馬の花の窟に比定されることから[10]、熊野と「黄泉の国」が関連づけられることがある[11]。 『出雲国風土記』出雲郡条の宇賀郷の項には黄泉の坂・黄泉の穴と呼ばれる洞窟の記載があり、「人不得 不知深浅也 夢至此磯窟之辺者必死」と記載されている。即(すなは)ち、北の海浜(うみべた)に磯(いそ)あり。脳(なづき)の磯と名づく。高さ一丈(つゑ)ばかりなり。上に松生(お)ひ、芸(しげ)りて磯に至る。里人の朝夕(あしたゆふべ)に往来(ゆきかよ)へるが如く、又、木の枝は人の攀(よ)ぢ引けるが如し。磯より西の方(かた)に窟戸(いはやど)あり。高さと広さと各(おのもおのも)六尺(さか)ばかりなり。窟(いはや)の内に穴あり。人、入(い)ることを得ず。深き浅きを知らざるなり。夢に此の磯の窟の辺(ほとり)に至れば必ず死ぬ。故(かれ)、俗人(くにひと)、古(いにしへ)より今に至るまで、黄泉(よみ)の坂・黄泉(よみ)の穴と号(なづ)く。 この洞窟は島根半島の出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定されるのが通説である[10]。猪目洞窟は昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見された。 なお、黄泉国とは出雲地方のことであるとする説[12]がある。
出雲国風土記
『聖書』中の訳語としての「黄泉」詳細は「地獄 (キリスト教)」を参照
キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。地獄と訳されることの多いゲヘンナと、黄泉と訳されることの多いハデスの間には厳然とした区別があるとする見解と[13]、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解[14]など、両概念について様々な捉え方がある。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所、ハデスは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデスは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデスは終焉する。他方、別の捉え方もあり、ハデスは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと一つにされるとする[13]。
上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる[14]。
出典・脚注^ 酒井陽「明治期聖書訳語「よみ」に関する一考察