麻生内閣
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国会における与野党の対立や自民党内における麻生おろしは、麻生内閣のみならず自民党への支持を一層失わせることになったが、この時点では民主党が圧倒的に支持を得ている状況にはなっておらず、大連立や政界再編の可能性があると見られていた[14][20][21][22]

言論NPO」が2009年(平成21年)1月6日に発表した「麻生政権100日評価アンケート」によれば、支持率は11.0%、不支持率は70.8%だった[23]。また、読売新聞社が2009年(平成21年)1月上旬におこなった調査では不支持率が前回と比べ5.6ポイント増の72.3%となった。

2月17日には財務大臣中川昭一ローマでの「もうろう会見」への批判を受けて辞任、直後の調査では9.7%まで支持率が低下した[24]。3月には、民主党代表小沢一郎に関するスキャンダルなどの影響で内閣支持率が若干回復傾向となり、日本経済新聞テレビ東京が4月26日に実施した合同世論調査では32%(前回比7ポイント増)[25]産経新聞FNNが4月25日と26日の両日に実施した合同世論調査では28.2%(前回比7.4ポイント増)に上昇した[26]。しかし、5月に入ると、鳩山由紀夫の民主党代表就任や日本郵政社長の進退問題に端を発して総務大臣鳩山邦夫が更迭されたことを境に再び下落に転じ、毎日新聞が6月中旬に実施した全国世論調査では19%(前回比5ポイント減)[27]、産経新聞とFNNが実施した合同世論調査でも17.5%(前回比9.9ポイント減)[28] となり、再び20%を割り込む事態となった。両紙は共に、「麻生内閣は再び危険水域に入った」と報じた[27][28]
「麻生おろし」の暗闘と衆議院解散

2009年(平成21年)2月の中頃から、自民党内でも「麻生おろし」の動きが表面化してきた。この状況下で民主党幹部の中には「私たちがやるべきことは首相を守ることだ。いたぶるけど辞めさせないことが大事だ」としてあくまで辞任に追い込みたい他の野党から一歩引いた姿勢を示すものもあった[29]

追い込まれた麻生内閣は、郵政民営化路線を見直す方向に舵を切り党内に残る反民営化勢力に訴えることで「麻生おろし」に対抗しようとした。2月5日の衆院予算委員会での「(郵政民営化に)賛成じゃありませんでした」との発言。当時郵政行政を所管する総務大臣だった麻生首相の発言に批判が集まると「最初は賛成ではなかった。しかし2年間にいろいろ勉強させていただいて、(中略)民営化したほうがいいというように最終的に思いました」と2月9日に訂正した。郵政選挙で得た自公の衆議院過半数を基礎として成立している内閣が、解散もせず、その時点での選挙の民意である郵政民営化に逆行すると捉えられかねない動きをすることに対して、2月18日に小泉元総理が「呆れたを通り越して、笑っちゃう」と発言し一連の動きを抑え込んだ。しかし、日本郵政社長西川善文社長人事問題では「総務大臣が適切に判断されるものと思います」と西川社長の退任を図ろうとする総務大臣鳩山邦夫を繰り返し擁護。郵政造反復党組の消費者行政推進担当大臣野田聖子も「総務大臣が判断すればいい」と発言。しかし、5月18日の指名委員会による西川社長の続投が決まり、自分と差し違えても西川退陣を迫る鳩山邦夫を6月12日麻生首相は事実上の更迭を行い、郵政民営化路線の見直しにより麻生おろしへ対抗しようとした試みは最終的に挫折した。そして、麻生内閣の迷走と自民党内の分裂をますます印象づける結果となった。また、月末には総選挙前の党四役の交代人事に着手[30] しようとするも党内からの反発で断念するなど決断にぶれが多く出た結果[31]、麻生離れは進行した。元幹事長の中川秀直が「自ら降りていただきたい」と述べるなど、党内からも公然と退陣要求が出た[32][33]

麻生首相は7月13日、21日に衆議院を解散し、8月30日投開票の日程で総選挙を断行する意向を異例の「解散予告」の形で表明した。民主党の首相問責決議案が参院で可決されることを想定し、7月14日の衆院解散も検討したが、2009年(平成21年)の東京都議選与党が大敗し、立ち直るのに日にちをあけたいという事情に配慮して、与党幹部と協議し憲法の規定でもっとも遅くなる8月30日投開票で合意した。なお14日の問責決議案可決の結果、野党が審議に応じず、国会は会期末を待たず事実上閉幕した[34]

7月13日の「解散予告」の後は、各種調査の議席予測等を受け、2008年(平成20年)秋に解散しておけばよかったという与党議員の不満も出た[35]。解散直前まで自民党が首相に麻生を擁するか混乱した影響は大きく、前官房長官の町村信孝も地元で「自民が勝てば麻生政権が続くのか」と問われるなど、情勢悪化に歯止めがきかなかった[36]

その後も自民党では署名により両院議員総会を開催しての総裁選前倒しなどが企図されたが、開催は見送られ懇談会となった。不満な議員が別のマニフェストを作る分裂的な動きなども出たが[37]小選挙区制では党非公認だと比例区での復活の可能性がなくなることで牽制され[38]、7月21日に予定通り衆議院は解散された[3]。しかし、党利党略でさえない、「麻生おろし」を封じるための解散だったとも評された[39]
退陣、民主党への政権交代「第45回衆議院議員総選挙」も参照2009年9月14日、政権交代を前に会談する鳩山由紀夫次期内閣総理大臣民主党代表)と麻生太郎内閣総理大臣(自民党総裁

2009年(平成21年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙では民主党への政権交代が確定し、自民党が記録的大敗を喫した。総務大臣佐藤勉、財務大臣与謝野馨、文部科学大臣塩谷立、国家公安委員会委員長林幹雄、行政改革担当大臣甘利明、消費者行政推進担当大臣野田聖子と6人もの現職の国務大臣が小選挙区で落選した(6人全員比例復活した)。また、2月に財務大臣?金融担当大臣を辞任した中川昭一は大臣辞任の影響もあり小選挙区で落選、比例復活も次点でできず、落選した。

その夜に麻生首相が選挙対策本部でのNHKとの中継会見にて事実上の退陣を表明した。

選挙後の9月に組まれていた国際会議について、G20財務大臣・中央銀行総裁会議では財務大臣与謝野馨が体調不良を理由に欠席し、WTO閣僚会合では農林水産大臣石破茂、経済産業大臣二階俊博が欠席したことに対して「閣僚としての責務と、最後の仕事を放棄した」との批判があった[40]内閣総辞職に際して花束を贈呈される内閣総理大臣の麻生

2009年(平成21年)9月16日、麻生首相は特別国会の召集に当たり、憲法の規定に従い内閣総辞職を臨時閣議で決定した。麻生首相は退任記者会見で「残念ながら道半ばで退任することになった。」と述べ、内閣総理大臣官邸を後にした[41]。同日、後継政権として鳩山由紀夫内閣が発足した。
政策
経済

麻生内閣は景気対策最優先の政権運営で日本経済の立て直しを目指した。就任直後の2008年(平成20年)10月16日の平成20年度第1次補正予算成立を皮切りに、2009年(平成21年)明けに同第2次補正予算、平成21年度予算、同第1次補正予算と半年余りで4回の経済対策を行った。特に平成20年度第1・2次補正予算と平成21年度予算の3つを合わせて政府は「景気対策の3段ロケット」と称した。各対策の要点は以下の通り。
【平成20年度第1次補正予算】‐総額11.5兆円(「安心実現のための緊急総合対策」)


生活者への支援 ・高齢者の医療費負担軽減など‐2500億円

中小企業への支援

緊急保証枠‐6兆円

政府系金融の緊急貸出枠‐3兆円


地方の活性化

緊急防災・災害復旧等‐4400億円


【平成20年度第2次補正予算】‐総額27兆円(「生活対策」)


生活者への支援

定額給付金の実施‐2兆円

自治体による雇用機会創出‐4000億円(基金)

妊婦健診の無料化‐800億円

離職者への住宅・生活支援


中小企業への支援

保証・貸出枠‐30兆円に拡大


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