麻布区
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1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法施行により、以下の区域をもって東京府麻布区が置かれる[1]。区役所は麻布宮村町37番地(旧第2大区12小区区務所、現六本木5丁目16-45)に置き、11月4日に開庁し事務を開始する[1]。
飯倉町一丁目、飯倉町二丁目(現麻布台)
飯倉町五丁目、飯倉町六丁目(現東麻布)
飯倉町三丁目、飯倉町四丁目、麻布新網町一丁目、芝森元町一丁目、芝森元町二丁目、芝森元町三丁目(現麻布台、東麻布)
芝北新門前町(現東麻布、ごく一部が三田)
麻布宮下町、麻布網代町、麻布坂下町(現麻布十番)
麻布新網町二丁目(現東麻布、麻布十番)
麻布霞町(現西麻布、ごく一部は六本木)
麻布笄町(現西麻布、ごく一部は南青山)
麻布富士見町、麻布盛岡町、麻布東町、麻布竹谷町、麻布新堀町、麻布田島町、麻布新笄町(現南麻布)
麻布広尾町(現麻布十番、南麻布、ごく一部が三田、白金)
麻布西町(現元麻布)
麻布山元町(現麻布十番、元麻布)
麻布一本松町(現元麻布、ごく一部が麻布十番)
麻布三軒家町(現西麻布、元麻布)
麻布本村町(現元麻布、南麻布)
麻布仲ノ町、麻布市兵衛町二丁目、麻布谷町、麻布箪笥町、麻布今井町、麻布三河台町、麻布鳥居坂町、麻布東鳥居坂町、麻布六本木町、麻布北日ヶ窪町、麻布材木町、麻布龍土町(現六本木)
麻布我善坊町(現麻布台、ごく一部は六本木)
麻布市兵衛町一丁目(現六本木、ごく一部は虎ノ門)
麻布新龍土町(現六本木、ごく一部は南青山)
飯倉片町(現六本木、麻布台)
麻布南日ヶ窪町(現六本木、麻布十番)
麻布桜田町(現六本木、西麻布、元麻布)
麻布宮村町(現六本木、麻布十番、元麻布)
飯倉狸穴町(現麻布狸穴町、麻布台、麻布十番)
麻布永坂町(現麻布永坂町、麻布十番、六本木、ごく一部が麻布狸穴町)
渋谷上広尾町、渋谷下広尾町、渋谷広尾町(現渋谷区広尾)
1879年(明治12年)5月1日 - 麻布新笄町が麻布広尾町に編入。
1880年(明治13年) - 芝区芝新門前町の一部を編入。芝北新門前町を設置。
1886年(明治19年) - 赤坂区渋谷神原町(現渋谷区恵比寿)を編入。
1889年(明治22年)5月1日 - 市制施行により、東京府東京市麻布区となる。それに伴い、以下の再編が行われた。
南豊島郡下渋谷村の一部、原宿村飛地(字五反田)の南半分を編入。
渋谷下広尾町、渋谷広尾町、渋谷神原町の全域、麻布広尾町の一部、渋谷上広尾町の一部を渋谷町に編入。渋谷上広尾町の残部は麻布広尾町に編入。
1906年(明治39年)3月3日 - 東京電気鉄道(後の東京都電車)広尾線が開通する。
1911年(明治44年)
町名の「麻布」「芝」の冠称を廃止。
飯倉狸穴町を狸穴町に改称。
麻布広尾町の一部(古川沿いの区域)を分割し、麻布新広尾町一丁目、二丁目、三丁目を設置。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により、東京都麻布区となる。
1947年(昭和22年)3月15日 - 芝区、麻布区および赤坂区の区域をもって港区が発足[2]。同時に旧区域の町名に「麻布」の冠称がつけられる。
港区発足後、旧麻布区役所庁舎は港区役所麻布支所→港区役所麻布地区総合支所として建て替えを経て現在も同地にある。
行政歴代区長は、歴代区長一覧 - 東京都
(PDF) の麻布区の項を参照
地域
教育
曹洞宗大學林専門学校
電信協会管理無線電信講習所
東京高等工学院
府立第三高等女学校
東洋英和女学校
順心高等女学校
麻布中学校
麻布夜間中学
笄国民学校
本村国民学校
麻布国民学校
南山国民学校
東町国民学校
交通
鉄道路線
東京都交通局
東京都電車
広尾線:墓地下 - 霞町 - 赤十字病院下 - 広尾橋 - 天現寺橋
古川線:天現寺橋 - 光林寺前 - 四ノ橋 - 古川橋 - 三ノ橋 - 二ノ橋 - 一ノ橋 - 麻布中ノ橋 - 赤羽橋
札の辻線:赤羽橋 - 飯倉四 - 飯倉一
六本木線:飯倉一 - 飯倉片町 - 三河台町 - 六本木 - 竜土町 - 新坂町
伊皿子線:天現寺橋
六本木駅(東京メトロ日比谷線、都営地下鉄大江戸線)、広尾駅(日比谷線)、麻布十番駅(南北線、都営大江戸線)、赤羽橋駅(都営大江戸線)、六本木一丁目駅(南北線)は開業していなかった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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