麻布中学校・高等学校
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1951年 - 生徒協議会と教師との折衝の後9月に文化祭開催。しかし、以後2年間は開催せず。

1954年

5月15日から5月16日 - 文化祭。この年より毎年行われる。

10月8日 - 相模湖遭難事件。生徒22名が死亡した(内郷丸遭難事件)。


1956年 - 現在の100周年記念棟の場所に新館と呼ばれる校舎が建設。

1957年 - 定時制課程廃止。

1961年

多摩川農園を廃止。

体育館の改築に伴い国立競技場で運動会開催。


1962年

柔剣道場付きの旧体育館が落成。

多摩川農園を多摩川運動場として整備。

麻布学園同窓会設立。


1965年 - 国立競技場にて創立70周年記念大運動会。

1966年 - 70周年記念新校舎落成。現在の芸術棟。新館が増築により生徒会館と呼ばれる。

1967年 - 細川校長辞任、藤瀬五郎が新校長に就任。

1968年 - この年度の卒業式より校歌3番廃止。

1969年9月26日 - 無届の反戦集会が学校中庭で行われたことに対して、校長の藤瀬五郎は『学園紛争が始まってしまったと解釈せざるを得ない』とする。山内が校長代行に就任する直前の1969年度終了までが第1次学園紛争と呼ばれる。

1970年代

1970年

1月10日 - 乱入者多数にて始業式中止。

2月10日 - ニ・一一闘争統一実行委員会が中庭使用届けを出すが校長が拒否。話し合いの場で校長を拘束。

2月20日 - 統実委が釈明を行わない校長に対して校長室を占拠。統実委校長室占拠事件。

3月9日から3月12日 - 生徒会・職員・統実委と生徒による全校集会で和解案が採択される。

3月18日から - 授業改革全校集会にて改革案を作成し、採択。

藤瀬校長辞任、山内一郎が校長代行として赴任。山内代行は教職員経験がなかったため校長になれず、校長代行となった。第一次学園紛争での藤瀬校長と生徒間の和解案を全て破棄。この後の一連の紛争を第二次学園紛争と呼ぶ(麻布学園私物化事件)。

理事会が山中湖畔の校地売却を承認。

文化祭において討論会が山内代行によって中止される。それに対する暴動により文化祭切り上げ。

成毛講堂・相模湖遭難記念館取り壊し。


1971年

文化祭は取り壊し工事を避けるため秋に開催。

10月3日 - 文化祭2日目に武装突撃隊が第一次学園紛争時の和解案の復帰を求めて突入。山内代行の導入した警備員が応酬。後に山内代行の決断で機動隊が導入され、生徒と突撃隊が学外へ排除される。

10月5日 - 討論会。代行の退去勧告に対し座り込みを行った生徒に対し再度機動隊導入。

10月6日 - 山内打倒共闘会議結成。

10月7日 - 山内代行がロックアウト開始。義務教育である中学校も含めたロックアウトは全国初。

11月13日 - ロックアウト解除。全校集会1日目。

11月15日 - 全校集会2日目運動場で雨中にもかかわらず開催。生徒1名の逮捕に激発した生徒に囲まれて、16時58分に代行は退陣を表明し、17時32分に署名。


1972年

海野昌平が校長に就任。

山内前代行が逮捕、起訴される。


1973年

2月14日 - 全校集会にて海野理事長は授業料・入学金・施設費の値上げの白紙撤回を確認。

3月1日 - 全校集会にて山内前代行の残した負債を理事会が補填することを認めるまで生徒がストライキに入ることを決議。

3月2日 - 教員も同様の要求を採択。

3月5日 - 理事会が要求を認める。

3月16日 - ストライキ解除。

7月8日 - 学費値上げ撤回を求めて高校生が校長室を占拠し、バリケード封鎖。

7月13日 - 校長室の封鎖解除。

PTA発足。

サークル連合発足。

現講堂と教員棟が完成。現在の"ロ"の字校舎の全面が完成。

学園が山内前代行を民事で提訴。


1974年 - 理事会の理事長と校長の分離決議に従い大賀毅が校長に就任。

1975年

文化祭公金横領事件。広告収入を禁止。

6年ぶりに運動会開催。


1976年 - 予算委員会設立。

1978年 - 全国高校野球選手権大会東東京予選で、対戦相手の高校に対し、学園側応援席から「落ちこぼれ」(國學院久我山高等学校に対して)「くやしかったら東大に入ってみろ」(東京都立小山台高等学校に対して)[10]の野次が飛ぶ事件が発生し、学園への非難がマスメディアを賑わす[11]。これに対して『麻布学園新聞』10月号は「『ひどい』、『下品だ』というような評があったが、それはそのとおりである。しかし、『あんたらの気持ちはお見とおしだよ』という感じで決めつけられるとは非常に心外である。『野次』は『野次』であって、それ以上の何物でもなく、その内容をうんぬんする種類のものではない。マスコミは自らが作った虚像が何か事を起こすと、『われ先に』と取り上げ紙上をにぎわすのが得意である」と論評[11]。これに対してさらに『朝日新聞』を中心とする学園批判キャンペーンが起きた[11]。なお試合は4-9で麻布が敗北している[12]
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