麦人(むぎひと[注 1]、1944年8月8日[3] - )は、日本の俳優、声優。東京都武蔵野市出身[3]。個人事務所であるじゃがいも村村長(代表)。 6歳の時に前進座の『お夏狂乱』で初舞台[8][9]。歌舞伎の子役として活動[11]。物心つく前から日本舞踊や長唄を半ば強制的に習わされたという[11]。歌舞伎自体、言われた通りに動いていただけで旅公演も多く、小学4、6年生の頃はほとんど学校に通えない状態だったという[11]。その時は友人も出来づらく、旅公演中は家庭教師が付いていたが、やる気がないことから成績もドンドン落ちていったという[11]。中学時代は劇団の方針で芝居を離れ、普通の学生生活を送る[11]。中学卒業後、親から紹介された劇団民藝俳優教室[3]第1期生として入団して芝居の活動を再開する[11]。同期生で年上ばかりで中卒で入ったのは麦人だけだったが、新劇に特別興味があったわけではなく、勉強が嫌いで、芝居しかできることがなかったというのが理由だったという[11]。新しい環境に対する興味、子供が無理に大人ぶる背伸び感覚はあったが、芝居に対する意識は正直皆無だったという[11]。 デビュー当初はテレビドラマに出演するなど俳優として活動[11]。 独演劇 1960年代後半からは声優としても活動を始める[4]。『001/7親指トム』のジェフ・ブリッジス役が初レギュラーだが、本格的に声優活動を行うようになったのは1980年代に入ってからである。その頃は名誉欲・出世欲が強く、周囲からよく見られようとしてばかりで、ある時自分自身に嫌気が差して空しさを感じ、「本当に芝居や表現が好きで取り組んでいないならば、やっている意味はない」と、一度芸能界から抜けようと決意していたという[11]。しばらくフラフラしていた時、友人から紹介されたのがテレビアニメ『ドカベン』の声優オーディションで、ダメ元で受けたところ合格してしまったという[11]。当時の声優界は注目を浴びる仕事ではなかったことから、「ものすごく地味な世界」というのが第一印象だったが、そんな業界の空気にピッタリと熱中したという[11]。『ドカベン』の録音監督だった斯波重治の人間性に惹かれ、新劇出身で舞台役者時代の麦人のことも知っていたという[11]。また麦人にとっては、声優業界について色々と教え導いてくれた大恩人で『ドカベン』で本格的に声だけの演技に触れ、「これは興味のある世界だ!」と感じていたという[11]。 声優業開始当初は洋画の吹き替え、ナレーションが中心だったが、1990年代に入ってからアニメの出演が増えたという[11]。ナレーション用デモテープを作り、自ら映像会社を回って営業活動していた時期もあり、色々と繋がりができ、コンスタントに仕事をもらうようになったという[11]。 2012年から、「語り」「公演」を中心とした多目的フリーレンタルスペース『じゃがいも村』の村長として、その運営を担っている。2015年4月より、ベストポジションを退所し、『じゃがいも村』の俳優・声優マネージメント部門を設立したが[12]、2016年8月末日をもって解散[13]。『じゃがいも村』は麦人の個人事務所として継続している。
来歴
キャリア
子役・俳優として
声優として
現在まで
所属歴[9]→えんどれすプロダクション[15]→青二プロダクション[7][9]→アーツビジョン[16]→ぷろだくしょんバオバブ[17]→メディアフォース[5]→ベストポジション[6]。