1952年、原作者サミュエル・テイラーは原作の戯曲『麗しのサブリナ』をメイン州で書き上げてクリスマス後にニューヨークへ戻った[8]。当時のブロードウェイでは映画会社が映画化できそうな作品を探しに、スカウトマンを送り込んでおり、彼らは舞台の製作前から映画化権を買っていた[9]。原作戯曲の『麗しのサブリナ』もその中の1本であった[9]。ヘプバーンの伝記などで、ヘプバーンが『麗しのサブリナ』の舞台を見て映画化権を買って欲しいとパラマウントに言った、という記述があるものがあるが[10][11]、それは間違いで、実際には舞台よりも映画の方が先行している[12]。
ビリー・ワイルダーと原作者サミュエル・テイラーは1953年3月から共同で脚本を執筆していたが、サブリナ役にはオードリー・ヘプバーンが決まっていたので、テイラーはヘプバーンをイメージして脚本を書いていった[9]。
最初の打ち合わせで、ワイルダーはストーリーを変えていいかテイラーに尋ねていた[9]。テイラーは異存はなかったものの、戯曲を書き直す気もなかったため、映画と舞台では異なったストーリーになっている[9]。
8月には舞台版「麗しのサブリナ」のリハーサルが始まるため、2/3ほど完成した段階でサミュエル・テイラーは脚本から離れてしまう[13]。そのためビリー・ワイルダーはアーネスト・レーマンを呼び寄せ、残りの部分を執筆させた[14]。
撮影パリから帰ってきたサブリナのシーンのためのジバンシィのスーツジバンシィのイブニングドレスジバンシィのデコルテ・サブリナを着たヘプバーンと、ボガート、ホールデン
当初、ライナス役にはケーリー・グラントが予定されていた[15][16][17][18]が、彼が撮影1週間前になって出演を断ったため[19]ハンフリー・ボガートが起用された。
出演料は、ボガートが30万ドル[17][20]、ウィリアム・ホールデンが12万5000ドル[17][20]、そして主演2作目であるオードリー・ヘプバーンは1万5000ドルであった[18]。
さらにライナス役がケーリー・グラントからハンフリー・ボガートに変わったため大幅な書き直しが必要で、撮影が始まっても脚本は完成していなかった[19]。その上ビリー・ワイルダーは撮影中でも何度も脚本の書き直しをしていたので[16]、その日撮影する脚本が出来上がっていないことがあった[19]。そのためオードリー・ヘプバーンがビリー・ワイルダーに請われて仮病を使って時間稼ぎをしたこともあった[19]。
本作の舞台となったララビー邸は、ビバリーヒルズにあるパラマウント社長の邸宅を使用している[21][17][22][23]。プールの場面はCBSの創始者のウィリアム・サミュエル・ペイリー(英語版)の自宅である[19]。また、劇中に登場する駅はロングアイランド鉄道オイスターベイ支線のグレンコーブ駅で撮影され、ララビー工業本社ビルはフィナンシャル・ディストリクトのビルで撮影された[23]。