鹿島鉄道
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鹿島鉄道線 石岡駅 - 鉾田駅 27.2km 17駅

車両
路線廃止時に在籍した車両石岡機関区

非電化路線のため、旅客列車は気動車によって運行されていた。

保有車両はすべて単行運転できる両運転台車で、うち自社発注車のKR-500形を除いた3形式は、日本で営業運転に使用される気動車としては最古級の貴重な車両である。これらはいずれも「菱枠形台車」と呼ばれる、帯鋼をリベットボルトで組立てた簡易な台車を装備していた。

路線廃止時に売却が決まっていた車両は、重機の進入が困難な石岡駅から常陸小川駅に回送後、搬出された。

廃線後に保存されている車両は全部で6輌ある。「鉾田駅保存会」が購入したキハ601とKR505がのちに鉾田市に寄付されてほっとパーク鉾田で動態保存されている。「鹿島鉄道保存会」が購入したキハ714・キハ431・KR501が小美玉市の「鹿島鉄道記念館」で静態保存されている(期日指定公開であり、ふだんは非公開)。また、キハ432は小美玉市の小川南病院「はるるの郷」の利用者用施設として保存されている。
KR-500形KR-500形502 石岡駅

新潟鐵工所に自社発注した16 m級の軽快気動車(NDC)で、1989年1992年に501・502・503・505の4両が導入された(504は忌み数のため欠番)。座席はボックスシートで、新製時より冷房を搭載している。正面は非貫通形である。2003年より塗装がクリーム地にアイボリーとパープルの2色ラインから以下のように変更されていた。2004年に505は新選組号として運転された。502と503は廃止後ほどなく、旧石岡機関区構内にて解体処分されている。

KR-501 - クリーム地に紫の帯。1989年製。

KR-502 - クリーム地に赤の帯。1989年製。

KR-503 - クリーム地に緑の帯。1992年製。

KR-505 - クリーム地に水色の帯。1992年製。

キハ714形キハ714形 石岡機関区

714号1両が在籍。1953年新潟鐵工所製の元夕張鉄道キハ251形 (251) で、北海道初の液体式気動車であった。20m級2扉車で、前面は当時最先端の湘南形1976年、夕張鉄道の廃止により転入。入線時点では転換クロスシート車であったが1977年にロングシート化[11]、さらに1994年には冷房化されている。しかし扉が半自動であるため、停車時において乗客が降りるためには手動で開けなければならず、かつ制御ができないためワンマン化はされなかった。末期の単行運転は毎月第2土曜日に1往復のみとなっていた。車体側面中央下部には、かつての関東鉄道常総線の気動車と同様、週刊誌の広告があった。
キハ430形

431, 432の2両。共に1957年東急車輛製造製の元加越能鉄道加越線キハ120形(125, 126)。東武鉄道熊谷線キハ2000形(1954年東急製)とほぼ同型車で、湘南形前面の16m級2扉の小型気動車。ただし、車内は東武熊谷線の車両とは異なり、オールロングシートで側窓回りにも違いがある。キハ714形に比べ、幕板が広い。小型車体のため冷房装置を搭載する余裕がなく、夏期は運用を外れる。1972年の加越線廃止に伴い翌年転入。その際、前照灯シールドビーム化が行なわれ、鹿島鉄道分離後には前面にあったタイフォン穴が埋められる程度のほぼ原型に近い姿を保っていた。一時期にはクリーム地にアイボリーとパープルの2色ラインの塗装をまとっていたが、汚れが目立った事や作業効率向上のため1997年の検査の際に旧塗装に戻された[12]。2002年に車体更新が行なわれ、前面窓の縮小や側面雨樋の位置変更がなされた。キハ432は前面の塗装をV字の曲線状にする通称「金太郎塗り」に変更し、2003年にはキハ431がクリーム地に緑の金太郎塗りに塗装が変更された。

キハ431形 - 緑色の金太郎塗り

キハ432形 - 橙色の金太郎塗り


キハ430形431(1985年)

キハ430形431 石岡駅構内(2002年)

キハ430形431 玉造町駅構内(2007年)

キハ430形432 玉造町駅付近

キハ600形詳細は「鹿島鉄道キハ600形気動車」を参照

19m級の3扉車で、当線では最大の旅客収容力を持っていた。出自は国鉄から譲受した元キハ07形で、1965年 - 1966年に関東鉄道に譲受された。1936年川崎車輌製の601と1937年鉄道省大宮工場製の602の2両が在籍していた。

流線型であった前面形状を1972年に関東鉄道形の平妻形に改造するなど、内外の大改装を度々繰り返し、1994年には冷房装置も搭載された。車体側面の形態と台車に往年のディテールを残す。

601は2006年時点で車齢約70年に達しており、一般旅客営業に運用される車両としては日本最古かつ戦前製唯一の現役気動車であった。廃止後601は、鉾田駅跡を鉄道公園にすることを目指した市民グループが駅構内に保管していたが、2007年に鉾田市議会で公園整備の陳情が却下された後、有志個人が鹿島鉄道から買い取り、鉾田駅の保存用地も同個人らが借り受けて保管していた。2009年に鉾田市が保存用地を提供することとなり、601も鉾田市に寄付され所有権が移転、移送の上で保存されるに至った。

602は一部の個人が保存を目指していたが条件が整わず2007年5月28日に石岡駅構内で解体された。

譲渡及び改番履歴を以下に示す。

国鉄キハ42032 >国鉄キハ07 29 > 鹿島参宮鉄道キハ42503 > 関東鉄道キハ42503 > 関東鉄道キハ601 > 鹿島鉄道キハ601

国鉄キハ42036 >国鉄キハ07 32 > 関東鉄道キハ42504 > 関東鉄道キハ602 > 鹿島鉄道キハ602


キハ600形601号 石岡機関区

キハ600形602号 石岡機関区(2006年)

キハ600形602号(1985年)

DD902形

1968年日本車輌製。関東鉄道が発注した国鉄DD13形ディーゼル機関車の同型車。関東鉄道が4路線で構成されていた1965年6月1日 - 1979年3月31日における、事実上でも名義上でも唯一の新造車である。DD13形類型機であるが、台車が軸バネ式のNL8Bという独自のものを履き、運転台下の燃料タンク・空気溜などに相違点が見られる。

塗色は濃い茶色に白帯であったが、2005年11月に朱色に変更され、同年の鉄道の日イベントでは目玉車両となった。側面の社章は関東鉄道時代のままであった。2007年、廃線を待たずに日本製鋼室蘭製作所に売却された。

DD902 玉造町駅(2006年)

DD902の旧塗装 石岡機関区(2002年)

DD902 石岡機関区(2007年)

路線廃止以前に廃車された車両キハ715形(1985年)DD901(1985年)常陸小川駅で静態保存されていたDD901DD13 171(2003年)

キハ710形(711・712・713):1958年新潟鐵工所製の元三井芦別鉄道キハ100形(101・102・103)。1992年までに廃車。

キハ715形 (715) :1956年新潟鐵工所製の元夕張鉄道キハ254形 (254)。1993年廃車。

キハ83形 (83) :元北九州鉄道の流線型ディーゼルカージハ50。1935年汽車製造製。北九州鉄道が国鉄に買収され、キハ40652となり、ガソリンエンジン化によりキハ40330となった。1951年常総筑波鉄道に払い下げられてキハ83となった。妻面2枚窓に改造された。当初は常総線に配属されたが、後に鉾田線に転属した[13]

キハ200形 (201) :1936年日本車輌製。いわゆる「びわこ型」の前面を持つ小型車。前照灯は鹿島参宮特有の小型の物。

キハ40400形 (40401) :元芸備鉄道キハユ16。1934年に日本車輌でキハユ16として新製され、芸備鉄道が国鉄に買収されるとキハユ40900となった。鹿島参宮鉄道に転入後、ホハフ401となった後、キハ40401となった。これも前照灯は小型であった。また、偏心台車を使っている。

キハ410形(411・412):元国鉄キハ04。キハ410形への改造時に液体式化、総括制御化、片運転台化された。正面2枚窓になっていた。廃車後は2両とも経営者の同じ別々の保育園に引き取られ保存されたが、2004年秋頃に2両とも解体された。

国鉄キハ04 10→常総筑波鉄道キハ41005→関東鉄道キハ411

国鉄キハ04 24→常総筑波鉄道キハ41006→関東鉄道キハ412


キハ41300形(41301・41303):元国鉄キハ04。

国鉄キハ04 7→鹿島参宮鉄道キハ41301

国鉄キハ04 18→鹿島参宮鉄道キハ41303


キハ42200形・650形(42201→651・42202):元東横電鉄キハ2・8。東横電鉄では変電所の能力限界を補うべく、急行をガソリンカーで運行することを画策し、東横電鉄キハ1形1 - 8号の8両を1936年に川崎車両で新製した。しかし直後の石油統制で活躍の場を失い、キハ2・8はすぐに五日市鉄道に売却された。


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