合併前の竜崎鉄道の車両は竜崎鉄道を参照
ハ5・6、ハ10-13・開業時に日本車輌東京支店で製造された木製2軸三等客車。ハ5・6は二三等合造車で設計されており短期間ロハ5・6となっていた[13]。
ハフ30・35・1926年に古河鉱業の専用線[14]で使用された元国鉄木製2軸客車(ハフ3043・3044)を購入1935年廃車[13]。
ハフ20 - 1942年、国鉄紀勢中線(元新宮鉄道)より払下げられた木製2軸客車。竣工図では製造年不明日本車輌東京支店製となっているが、明治34年(1901年)東京車輌製作所で上武鉄道が出自と考えられる[13]。
ハフ21 - 1942年、国鉄紀勢中線(元新宮鉄道)より払下げられた木製2軸客車。竣工図では昭和18年(1943年)日本車輌東京支店製となっているが、実際は国電の始祖甲武鉄道の電車である。甲武鉄道→国鉄→佐久鉄道→新宮鉄道→国鉄→寿都鉄道→鹿島参宮鉄道と渡りあるいている[13]。
ハフ22・23 - 1943年、五戸電気鉄道(南部鉄道)より購入した木製2軸客車。公式には昭和4年(1929年)8月小島栄次郎製となっているが外観は明治時代の木製2軸客車そのものであり車両ブローカーである小島栄次郎が中古品を売り込んだと考えられる。1955年12月に廃車となるまで鉾田線で使用された[13]。
バス事業
車両
1931年7月 : シボレー12人乗り他5台
1934年 : 15台[15]
1936年 : 乗用用大型フォード16台、チェンジ式フォード10台、シボレー3台(銀バス)
1941年頃 : 大部分の自動車が代燃車(木炭自動車、ガソリン統制による)
1950年3月 : 乗合バス60台、貸切バス4台(平均定員38人、ディーゼル車は1/3)
1959年3月 : 乗合バス204台、貸切バス9台(平均定員63人)
1965年 : バス320台
他事業
不動産事業として住宅団地の宅地販売を行ったり、観光事業として潮来のあやめ園を開設した。
脚注[脚注の使い方]^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年12月14日