鶴田浩二
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その前はね、もう考えるにはね、あまりにもう時間が短いんだよ」[13]

特攻基地を飛び立つ戦友たちを見送っていった鶴田は、シベリアで倒れていった戦友たちを見ていた作曲家吉田正と親交が深かった。「鶴さん」「吉さん」と呼び合う仲で、鶴田のヒット曲のほとんどは彼の作曲のもの。

鶴田は、我が物顔で撮影所を闊歩する山本麟一に対して、態度が悪いとケンカを吹っかけたことがあり、「鶴田さん止めましょう」と仲裁する高倉健の忠告を無視して挑発を続け、仕方なく応じた元ラグビー部である山本のタックルを受けて卒倒したことがある。その後の鶴田と山本の人間関係は良好になった。

山本麟一が闘病生活を送っていた際、鶴田は病室の彼を見舞っている。看護婦や入院患者にサイン、握手など気さくに応じたという。悪役ばかり演じていて一般の方のイメージがよいとはいえなかった山本だが、「あの大スター鶴田浩二がわざわざ見舞うほどの人物なのか」と、評価が一変する。その後は山本に対する病院側の扱いがよくなったため、山本と山本の妻からとても感謝されている。

川谷拓三は駆け出しの大部屋俳優のころ、がんを宣告され余命いくばくもない兄のために、兄が大ファンだった鶴田に「どうか兄に一目会ってもらえませんでしょうか。お願いします!」と、無茶なお願いをした。大部屋俳優と大スター、本来なら声をかけることも許されない立場ではあったが、川谷の心情を察した鶴田は「ワシの顔見て、死んで行けるんならそれも供養や。行ってやるよ」と兄の入院する病院へ駆けつけた。鶴田と会うことのできた兄は数時間後に息を引き取ったが、死顔は安らかで満足そうであったという。これが縁で鶴田の付き人となり、鶴田の複数の主演映画で端役のチンピラを演じることとなる。鶴田の没後しばらくして、川谷はその恩に報いるため、回想番組に出演し、思い出話を語っている。

ダン池田はニューブリードのバンドマスターとして、「紅白歌合戦」や「夜のヒットスタジオ」で指揮をしたミュージシャンだが、鶴田が出演する際は手書きの楽譜を持参し、必ず楽屋に挨拶に来てくれたと自署『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』で回想している。「私は歌の方は素人です。芸術家の皆さん、何とかひとつよろしくお願いします」と大スターの鶴田が頭を下げていくため、背筋が伸びる思いだったという。

ただ、鶴田の評判は必ずしも良好なものばかりではなく、好き嫌いが激しく屈折したプライドから周囲との衝突や暴言も多かったとされる[注釈 5]。撮影所において宇野重吉加藤泰三國連太郎とは口も利かなかったという。何か伝言しなくてはならないときには人を介し行った。その場合丹波哲郎が多かった[14]。誰とでも分け隔てなく鷹揚な丹波は性格的に正反対で、普段は苦手としていたが、戦時中、航空隊整備士官だった共通点もあり、人間的には相通じるものがあった。

山城新伍は自著[要文献特定詳細情報]で「当時は、新人俳優が楽屋周りを掃除することが慣習的になっていたが、“俺は芝居をやりに来たんだ。掃除しに来たんじゃねぇ!”って突っ張って一切の雑務を行わなかったし、若山先生側にいたこともあって、鶴田さんとか先輩からかなり嫌われた。かなりとんがってたからね」と述懐した。鶴田の存命中からラジオ番組で 「殺したい俳優がいて鶴田浩二という」 など実名をあげて非難していた。一例として 「あの人は必ず遅れてくる、それもわざと。あの人が大スターだというのは誰でも知っている。それをみんなの前でやらないと気が済まないんだ。1時間、2時間経っても鶴田さんが来ない。監督も痺れを切らして次の撮影に移行する。そうすると判で押したように鶴田さんが来て監督の横に椅子を置き撮影を見ている。おもむろに 監督、俺は誰だ? はい? 俺は誰だと聞いているんだ? 鶴田浩二さんです。鶴田浩二だろう? 俺の撮影を先にやろう! と言って現在の撮影をストップさせ自分の撮影に入らせる。そして悠然と撮影所を後にする。それの繰り返しで、それをみんなの前でわざとやるんだよ、あの人は!」と述べている。

反面、頼まれれば引立て役として若手を育てるため助演するのも厭わず、東宝移籍時に助監督だった福田純が監督昇進した第1作『恐るべき火遊び』に自ら申し出てワンカットだけ出演し、第2作『電送人間』にも主演した[15]佐原健二が『空の大怪獣ラドン』撮影中に大怪我をした際に撮影を強行したことを知った鶴田は「佐原健二を殺す気か!」と東宝演技課に怒鳴り込んだ[16][17]。東映でも松方弘樹梅宮辰夫などを公私にわたり可愛がり、松方は俳優だけでなく人生の師匠としても鶴田を慕い、葬儀では号泣した。

無類の野球好きとしても知られ、鶴田ヤンガースなる私設野球チームを率いたことがある。

「特攻崩れ」の虚実

上の記述の通り元海軍軍人である。若き特攻隊員の苦悩を描いた『雲ながるる果てに』(家城巳代治監督、1953年)に主演して以来、特攻隊の出身、特攻崩れだとしていたが、実際には元大井海軍航空隊整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場だった。戦後、元特攻隊員と称するようになる者は多く、一つの流行でもあったが、鶴田はあまりにも有名人であるため同隊の戦友会にばれ猛抗議を受けるが、一切弁明はしなかった。黙々と働いては巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、日本遺族会にも莫大な寄付金をした。この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなった。また、各地で戦争体験・映画スターとしてなどの講演活動も行った。生涯を通じて、亡き戦没者への熱い思いを貫き通した。これらの行動に、当初鶴田を冷ややかな目で見ていた戦友会も心を動かされ、鶴田を「特攻隊の一員」として温かく受け入れた。一方、鶴田の死後の娘の回想によると戦友会等からの苦情は一切なく、それは搭乗員ではなくとも鶴田を自分たちの一員と認めた元隊員らの配慮によるものだったと理解し感謝していたという。

特攻隊生き残りの経歴については、映画会社が宣伝の一環で捏造し、本人も積極的に否定せず、特攻崩れを自称する当時の風潮に迎合しただけというのが実情とされている。特攻隊員を見送る立場であった経験から、実際の特攻隊の生き残りよりも本物らしく演じ、『男たちの旅路』においてはこのイメージが最大限に活用された。第4部「流氷」では鶴田演じる吉岡司令補を杉本警務士(水谷豊)が「“あの頃はみんな純粋だった”だの、そんなに美化していいのか」と厳しく責めるシーンもある。
家族

中尾照子との間に3人の女の子。長女 愛弓、次女 千尋、三女 左也香。三女は女優の鶴田さやか

なお「弟」と称していた俳優の北斗学(北十学)は、若いころの恋人とのあいだに生まれた実子である。

実孫としては、次女の長男(1人目の夫との子)は清元節三味線方の清元斎寿。次女の次男(再婚相手の7代目清元延寿太夫との子)は歌舞伎役者の二代目尾上右近、京都祇園安藤の若女将安藤加奈子である[要出典]。
出演
映画本日休診』(1952年)『男性NO.1』(1954年)。岡田茉莉子(左)と鶴田。日本侠客伝 関東篇』(1965年)

破戒(1948.12.6、松竹京都):下宿人[注釈 6]

遊侠の群れ(1948.12.21、松竹京都):佐吉

わが恋は燃えぬ(1949.2.9、松竹京都):壮士・久保光雄

フランチェスカの鐘(1949.5.9、松竹京都):棚橋省吾

殺人鬼(1949.6.29、松竹大船):島本五郎

薔薇はなぜ紅い(1949.10.11、松竹京都):魚住徹

恋愛三羽烏(1949.11.26、松竹京都):津田安吉

影法師(松竹京都):宇津木新二郎

影法師 寛永坂の決闘(1949.12.25)

続影法師 龍虎相搏つ (1950.1.8)


栄光への道(1950.2.19、松竹京都):永井

危険な年齢(1950.4.1、松竹大船):健太

童貞(1950.5.28、松竹大船)

春の潮 前篇(1950.6.16、松竹大船)

春の潮 後篇(1950.6.25、松竹大船)

接吻第一号(1950.8.5、松竹大船)

大学の虎(1950.8.19、松竹大船):今井恭平

悲恋華(1950.9.16、松竹京都)

エデンの海(1950.10.14、松竹京都=綜芸プロ):南條先生

薔薇合戦(1950.10.28、松竹京都=映画芸術協会):園池雀太郎

黒い花(1950.11.18、松竹京都):浅川

地獄の血闘(1951.1.20、松竹京都):宮下次郎

乾杯!若旦那(1951.2.4、松竹大船):宇田川長吉

海を渡る千万長者(1951.3.1、松竹京都):栗田

怪塔伝(1951.3.17、松竹京都):菅野新四郎、矢部源之丞、安財芳太郎

男の哀愁(1951.4.13、松竹大船):小島正夫

獣の宿(1951.6.8、松竹京都):健

東京のお嬢さん(1951.7.6、松竹大船):飛鳥正彦

若い季節(1951.7.19、松竹大船):岸達夫

天使も夢を見る(1951.9.5、松竹大船):淀川良平

飛び出した若旦那(1951.9.21、松竹大船):鶴川浩工

あの丘越えて(1951.11.1、松竹大船):能代大助

唄くらべ青春三銃士(1952.1.7、松竹京都):一木俊夫

若人の誓い(1952.2.1、松竹大船):三谷良平

本日休診(1952.2.29、松竹大船):加吉

東京騎士伝(1952.5.8、松竹大船):山部真吉

坊ちゃん重役(1952.8.21、松竹大船):長谷部山太郎

お茶漬の味(1952.10.1、松竹大船):岡田登

弥太郎笠 前後篇(1952.10.30、新東宝=新生プロ):りゃんこの弥太郎

学生社長(1953.1.3、松竹大船):山地丈太郎

ハワイの夜(1953.1.9、新東宝=新生プロ):加納明

闘魂(1953.3.5、松竹京都):志摩次郎

岸壁(1953.4.22、松竹大船):木本

ひばりの歌う玉手箱(1953.4.29、松竹大船)

雲ながるる果てに(1953.6.9、重宗プロ=新世紀映画):大瀧中尉


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