2020年、中国映画に招かれて監督した『戦慄のリンク』(原題:网?凶?/ワンリューシュンリン)が中国国内5,000館で公開。2022年、日本国内で上映が開始された。
2022年、新国立劇場小劇場『六番目の小夜子』の総監督として舞台演出を初めて手がけた。
また、脚本家の佐東みどりとのコンビで、怪談系の児童文学作家としても活動している。角川つばさ文庫の小説『恐怖コレクター』シリーズは累計80万部を突破し、コミック版も発売されている。また、韓国語版も刊行が続いており、2023年11月からは英語版の発売が米国で開始された。 高校、大学を通じて自主映画を製作[1]。オリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話』シリーズ、及びそれに続いて発表した『悪霊怪談/呪われた美女たち』(1995)、『亡霊学級』(1996)などのオリジナルビデオ・ホラーの恐怖演出が、Jホラーの映画作家たちに影響を与えた事から「Jホラーの先駆者」と呼ばれている。 2001年の黒沢清監督作品『回路』のコンクリート壁の地下室に登場する赤いワンピースの女の恐怖シーンは、その9年前に発表された鶴田のオリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話/第二夜』に収録されている『夏の体育館』に登場する赤いワンピースの女の恐怖シーンと酷似している。また黒沢は『CURE』(1997年)を発表する前年に、鶴田のオリジナルビデオ『亡霊学級』の宣材物に「一度本物の幽霊を見てみたいと思っている方に、鶴田映画をお薦めする。あそこに写っている幽霊は紛れもない本物だ」と推薦コメントをよせている(黒沢清「映画はおそろしい」青土社に載録)。「ユリイカ臨時増刊/総特集・怪談」(1998年)での鶴田と高橋洋の3人で行った鼎談でも、黒沢は鶴田作品を賞賛している(黒沢清「恐怖の対談」青土社に採録)。 清水崇は『THE JUON/呪怨』(2004年)撮影中のスタジオに鶴田が訪れた際、オリジナルビデオ『新・ほんとにあった怖い話/幽幻界』(1992年)収録の『踊り場の友だち』の恐怖演出を真似させて欲しいと許諾を求め、鶴田はこれを快諾した。1992年の鶴田作品『踊り場の友だち』には階段を駆け上がった女子高生が踊り場を通過する際に、うつむいてたたずむ少年のカットが一瞬挿入される恐怖シーンがある。それを真似て、『THE JUON/呪怨』の中でテッド・ライミが階段を下りて来て踊り場を通過する際に一瞬「俊雄」のカットが挿入されるシーンが生まれた。(和光大学12-11-04、鶴田法男の講演より)
人物像
Jホラーの先駆者
Jホラー作家に与えた影響
家族・親族
鶴田家
(東京都)
祖父・孫兵衛(大映役員)
父・啓次郎(東京都三鷹市にあった名画座「三鷹オスカー」の経営者)
兄・浩司(「三鷹オスカー」の番組編成)
監督作品
劇場映画
トネリコ(1985年) - 脚本
ゴト師株式会社(1993年)
ゴト師株式会社II(1994年) - 宮下隼一と共同脚本
リング0 バースデイ(2000年)
案山子 KAKASHI(2001年) - 三宅隆太、村上修
予言(2004年) - 高木登と共同脚本
ほんとにあった怖い話?3D恐怖シアター(2005年)
ドリーム・クルーズ(2007年) - 高山直也と共同脚本
おろち(2008年)
王様ゲーム(2011年)
POV?呪われたフィルム?(2012年) - 脚本
トーク・トゥ・ザ・デッド(2013年) - 佐東みどり、一瀬隆重と共同脚本
マダム・マーマレードの異常な謎(2013年) - 中村義洋、上田大樹と共同監督
Z?ゼット?果てなき希望(2014年) - 酒巻浩史と共同脚本
戦慄のリンク 原題:网?凶?/ワンリューシュンリン(中国映画)(2020年)
ビデオフィーチャー映画
ほんとにあった怖い話(1991年) - 小中千昭と共同脚本
ほんとにあった怖い話?第二夜(1991年)
新・ほんとにあった怖い話?幽幻界(1992年)
戦慄のムー体験(1994年) - ビデオ再発題『真・恐怖体験?戦慄のムー体験・特別版』(鶴田のインタビューを収録)
真霊ビデオ
恐怖体験談集(1996年) - 構成・演出
心霊写真集(1996年) - 構成・演出
恐怖体験談(1999年) - 構成・演出(宮島幸雄と共同)
恐怖心霊写真(1999年) - 構成・演出(宮島幸雄と共同)
亡霊学級(1996年) - 小川智子[要曖昧さ回避]と共同脚本