鵜飼い
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山梨県笛吹市石和町を流れる笛吹川における石和鵜飼や、山梨県の郡内地方を流れる桂川でかつて行われていた鵜飼(現在は廃絶)、和歌山県有田市の有田川で行われている鵜飼は、「徒歩鵜(かちう)」と呼ばれるものである。これは小船等を用いず、鵜匠が1羽ないし2羽の鵜を連れて直接浅瀬に入って漁をする鵜飼である。
放し鵜飼(放ち鵜飼)

鵜に追い綱をつけず行う漁を放し鵜飼(放ち鵜飼)という[7]。2001年まで島根県で行われていた[7]高津川の鵜飼)。京都府宇治市で復活を目指す動きがある[7](宇治川の鵜飼)。
観光鵜飼

鵜飼見物は平安時代には既に知られていたが、現代のような形式の観光鵜飼は江戸時代末期に成立した[2]。特に長良川、肱川、三隈川の鵜飼は観光鵜飼船の数が多く三大鵜飼と呼ばれている[2]

観光鵜飼の多くは自治体(市)が運営しており鵜匠は自治体職員であることが多い[2]。長良川鵜飼と小瀬鵜飼は宮内庁式部職の鵜匠によって行われている[2]

観光鵜飼は川の中流域に設定されることが多く(有田市や岩国市などの鵜飼の場は下流域に設定)、川幅が広く流れが緩やかな場所で行われる[2]。時期は夏期を中心に開催され屋形船に乗って観覧する[2]
御料鵜飼

岐阜県岐阜市の長良川鵜飼ならびに関市の小瀬鵜飼は、宮内庁式部職である鵜匠によって行われている[2]。鵜匠は岐阜市長良に6人、関市小瀬に3人おり、これらは全て世襲制である[8]。長良川の鵜飼では、1人の鵜匠が一度に12羽の鵜を操りながら漁を行う。

もともと長良川の鵜飼はその起源を1300年ほど前までさかのぼり、江戸時代徳川幕府および尾張家の庇護のもとに行われていた。明治維新後は一時有栖川宮御用となるも、1890年宮内省主猟寮属となった。御料鵜飼は、狭義には毎年5月11日から10月15日まで行われる漁のうち特に宮内庁の御料場で行われる8回の漁を指す。御料鵜飼で獲れた鮎は皇居へ献上されるほか、明治神宮伊勢神宮へも奉納される。
鵜飼漁の分布
鵜飼いが行われている地方

山梨県
笛吹市笛吹川): 石和鵜飼

岐阜県岐阜市長良川): 長良川鵜飼宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。

岐阜県関市長良川): 小瀬鵜飼宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。

愛知県犬山市木曽川): 木曽川うかい。江戸時代に開始。一度中止になったが明治時代に鵜飼鎌次郎の尽力で復活した。全国で唯一昼鵜飼も行われている。

京都府宇治市宇治川

京都府京都市大堰川

和歌山県有田市(有田川)

広島県三次市馬洗川):三次鵜飼

山口県岩国市錦川

愛媛県大洲市肱川): 昭和32年(1957年)に「大洲観光うかい」として始まった

大分県日田市三隈川): 安土桃山時代に宮城豊盛が長良川の鵜匠を招き、日田地方に鵜飼を定着させたと伝えられている。

福岡県朝倉市筑後川): 7世紀の『隋書』「倭国伝」に九州北部の鵜飼について記されている。17世紀前半までは徒鵜(かちう)が行われていた。

富山県富山市婦中地区(田島川)売比河(めひかわ)鵜飼祭として年1回、1988年平成10年)より毎年5月下旬に行われている鵜飼のイベント。その昔婦中鵜坂の売比河(現 神通川)で鵜飼いが行われており、越中国司だった大伴家持天平20年ごろこの地を訪れ、万葉集に記載されている「売比河の早き瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴の男(やそとものお)鵜飼立ちけり」(第17巻、4,023首)と詠んだことから、史実に基づき再現されたものである[9]

鵜飼いが行われていた地方

島根県
益田市(高津川)

中国雲南省?海での鵜飼い

隋書』に倭国の鵜飼いが書かれた時代(600年)には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

中国における鵜飼いの記録は、一説には杜甫712年-770年)の詩の一節にまで遡るという。


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