朝鮮戦争中の1950年、国連軍の爆撃により北朝鮮側の橋桁が破壊された。残っている中国側の4スパンは歴史的遺産として中華人民共和国全国重点文物保護単位に指定され、遊歩道・展望台が整備されている。
1950年11月8日、9機のB-29が橋と町を爆撃、翌日にも空母艦載機による攻撃が行われた。国連軍はこの月、鴨緑江の主要な橋を、B-29により 10回、艦載機により10回爆撃した。艦載機攻撃は、橋を爆撃する8機以上のADスカイレイダーを、対空砲を攻撃するF4Uコルセアと制空のためのF9Fパンサーがサポートする編成をとった。西朝鮮湾の空母から飛び立った艦載機は高度4000 mから目標に高速で接近した。中国領空に入らず、つまり川の流れに沿って橋に接近し、北朝鮮側の最も陸に近い水上のスパンを狙う方針は、水平・急降下爆撃を問わず作戦を難しくしていた[9]。
この橋の70 m上流に鴨緑江第二橋梁がある。鉄道輸送力強化のため建設された複線橋[10]である。1943年(昭和18年)4月に完成したこの橋は中朝友誼橋と呼ばれ現在も利用され続けている[11] [12]。この橋も朝鮮戦争中に爆撃を受けたが落橋しなかった。空爆を想定して設計され、部分的に破損しても残った部材が荷重を支え、また、3径間連続トラス4連(16径間)構成により桁が落下しにくかったためである。米軍にどうしたら橋を落とせるかと尋ねられた設計者の小田彌之亮
は、橋桁は落ちないので橋脚を爆砕するしかない、と答えている[13]。