鳴梁海戦
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^ 『日本戦史 朝鮮役』本編 368頁
^ 李舜臣自身は「乱中日記」の中で31隻を撞破(撞破=突き破る)したと書いている。これは李の自己申告である上に、本来の意味での「撞破」は船体をぶつけて相手船を破壊する旨の意味だが、朝鮮水軍の主力船にはそのような(衝角などの)装備はあったとされる史料はないため、好意的に解釈したとしてもあくまで比喩的表現であろうという認識に留まらざるを得ない。
^ 『高山公実録』
^ 『毛利高棟文書』
^ 後に『看羊録』を残したが9月23日に藤堂水軍の捕虜となった地点は全羅道霊光の西岸である
^ 征韓録
NDLJP:936356/117
^ 史籍集覧. “藤堂家覺書”. 2022年8月23日閲覧。
^ 日本側の史料の毛利高政の転落に関連する記載には、同時に少なくとも数名の転落溺死した朝鮮兵の記録がある。武功とはならないために記録しなくても問題ないが、記載されている。これらの自軍の損害について李は触れていない。同時に、数百艘の小舟に分乗していた避難民らを保護して撤退した旨の記載はない。見捨てた可能性もある。
^ 中川秀政はプライベートでの狩猟中に襲撃されて死亡しているため、この海戦での戦死ではない。
^ 「両国壬辰実記」撰者割注
^ 朴鐘鳴 東洋文庫「懲録」脚注

関連作品

バトル・オーシャン 海上決戦……鳴梁海戦を題材とした2014年の韓国映画。原題は『鳴梁』

外部リンク

韓国ドラマに描かれた藤堂高虎

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